諸輪観音 発祥地
もろわかんのんはっしょうち
名古屋鉄道 富士松駅から東南に700mぐらいの田んぼの中の道路の枝分かれ地点に碑が建っている。
周囲は一面の田んぼ。稲が刈り取られる時期には 遠くからも碑の在り処がはっきりわかる。
写真
碑文
諸輪観音発祥地
刈谷市長 宮田一松 書
今からおよそ千百年むかし 衣浦の入江がこの地に入り込んでいた天慶のころ、ある日漁師の網に一体の観音像が掛かった。
人びとはその観音像を洗い清めて大切にまつり、その地を「身洗田」と呼んだ。その後、この観音像は境川上流の村に移され、やがて諸輪村の観音寺にまつられるようになった。
けれども現在の今岡町が発祥の地であるので、村びとの信仰も厚く、雨乞いの時には総出で諸輪村まで出かけて祈願を行い、大正の頃までは「今岡の雨乞い観音」と呼ばれていた。
現在でも、毎年三月の彼岸には観音寺から供養招待があり、町の役員が代参している。
このたび土地改良事業により、葦の茂っていた古川も美田に変り、身洗田の地もすっかり形を変えた。
折しも本年は諸輪聖観音菩薩ご開帳の年に当り、ここに今岡町民の発願によってこの碑を建立することにした。昭和五十三年春季彼岸の日
今岡町