対欧 無線 通信 発祥地

たいおうむせんつうしんはっしょうち

刈谷駅から南東に約3km、フローラルガーデンよさみ敷地の南東隅。1989年に開局60周年を記念して電子情報通信学会東海支部が設置し、2039年に開封予定のタイムカプセルも埋められた。

当地は依佐美よさみ送信所跡地。明治維新以降、欧米との通信には欧米の各社が敷設した海底ケーブルを用いなければならず不利を被り自主性に欠けていると考えた政府は、無線による通信を研究するために昭和4年(1929)に依佐美送信所を開設。大電力かつ超長波による通信の研究が行われ、実用化された。しかし実際には現代をみてわかるように長距離通信には超短波が用いられるようになり、超長波は特別な限られた用途に用いられるようになった。実際には依佐美送信所から潜水艦に「ニイタカヤマノボレ」も発せられたとされる。

石碑建立が平成元年なので「現在も運用されており」となっているが、太平洋戦争後は占領軍によって平成5年(1993)まで使用されていた。

平成8年(1996)に返還され、翌年には建設当時世界一の15万メーターアンペアで東洋一の高さ250mだったアンテナ塔が解体撤去された。現在は依佐美送信所記念館に設備の一部とともに、下25mに切り詰められたアンテナ塔基部と塔頂部とが「平和協力」と刻まれた石板が添えられて保存されている。

東京から新幹線に乗り、「これが見えたらもう名古屋に着く」と目印にまでされていた鉄塔群は、もう無い。

平成20年(2008)には、IEEEマイルストーンに認定された。

写真

  • 対欧無線通信発祥地
  • 対欧無線通信発祥地 背面 碑文
  • 対欧無線通信発祥地
  • 依佐美送信所記念館と残された鉄塔基部・頂部

碑文

對歐無線通信發祥地

本田静夫書

碑文

依佐美送信所は我が国に於ける最初の欧州向け無線通信設備として建設され昭和四年四月十五日に運用を開始してから本日ここに六十周年を迎える
当時の長波送信機は周波数一七四四二ヘルツの回転型高周波発電機で二百五十メートルの鉄塔と七百キロワットの空中線電力は世界最大の規模であった
本送信所は昭和の時代と共に幾多の変遷を経て現在も電気興業依佐美送信所として真空管式送信機により運用されており歴史的学問的に貴重な価値を有するものである
ここに電子情報通信学会の東海支部創立五十周年と依佐美送信所の電波発射六十周年を記念して此の碑を建立する

平成元年四月十五日

電子情報通信学会東海支部
創立五十周年記念事業会代表

本田静夫

地図

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