熊本電信 発祥の地
くまもとでんしんはっしょうのち
熊本城公園の駐車場から西に下りた所, 熊本YMCAの東側の道路に面して碑が建つ。
熊本における電信の発祥に関しては 資料がなく, 詳しいことは不明。また碑を「再建」した事情に関しても不明。
電信機の発明(モールス)は 天保8年(1837)。日本で最初の電信(電報)業務を開始したのが 明治2年(1869) 東京-横浜間。その後、急速に電信線の建設が行われ, 明治5年(1872) には関門海峡の海底電信線が敷設され、明治6年(1873) 東京~長崎間の電信線を開通した。 熊本での電信開通もその頃だったと思われる。
明治7年(1874) 佐賀の乱, 明治10年(1877) 西南戦争が勃発し, 現地と東京との間の 連絡は電信で行われたという。ただし、当時の電信は長距離の伝送ができなかったため, 要所要所に中継所があって人間が一旦文字に書き取りそれを次の中継所に発信するという方法が取られたため, 通信文が宛先に届くのはかなりの時間がかかったという。
なお, 日本で最初に電話が開通したのは, 電信より20年ほど遅れた明治22年(1889) のことである。
熊本YMCAは、建物老朽化のため令和3年(2021) に移転し、旧舎は解体された。建物に沿って設置されていた2つの石碑の行方は不詳。解体の準備なのか令和元年(2019) 頃はもしゃもしゃに育った周囲の植栽が撤去されて碑がよく見える日が続いていたようで、知らなかったとはいえまことに残念だ。
写真
碑文
熊本電信発祥の地
日本電信電話公社
ここは明治八年三月二十日熊本県で最初に電信の取扱いを開始した熊本電信局があったところです。
当時町々では文明の利器「電信」のうわさでもちきりで誰いうともなくこのあたりは電信町と呼ばれていました。
明治九年の神風連の変では敬神党の襲撃をうけ翌十年の西南の役で被災し焼失しました。
その後電信は広く利用され情報伝達の重要な手段として社会の発展に大きく貢献してきました昭和五十四年十月二十三日
第三十回電信電話記念日建立
熊本電気通信部 部長 林 實信
熊本電報局 局長 西川保幸
九州電気通信局長
斎伯 哲書
「熊本電信発祥の地」記念碑を再び建立する
平成六年十月二十二日
日本電信電話株式会社
取締役九州支社長
三原種昭