国際 電信 発祥の地

こくさいでんしんはっしょうのち

 
撮影:
2006年10月(写真 H.O.さん)
2006年10月(写真 N.I.さん)

長崎電軌 大浦天主堂下停留所の西。長崎全日空ホテルの敷地内にフェンスに囲まれて「国際電信発祥の地」「長崎電信創業の地」 「南山手居留地跡」と同じ規格の石碑が3本並んで建っている。

電気通信の歴史は天保8年(1837) にモールスによって電信が発明されたことに始まる。「トン・ツー」のモールス信号を扱う電信機は, 1850年代には 長崎の出島商館に持ち込まれていたが, 実際に国内通信が行われたのは 明治2年(1869) のことだった。

ヨーロッパでは早くから国際電信網の敷設がはじまっていて, 明治4年(1871) には ヨーロッパからシベリアを横断する電信線が完成した。このような背景からデンマーク系のグレート・ノーザン(大北)電信会社によって長崎〜上海間および長崎〜ウラジオストック間の海底電線が敷設され, 国際通信が開始された。

一方, 日本国内の電信網の敷設は, 明治2年(1869) の東京~横浜間を皮切りに全国に拡大され, 電信線が長崎まで延長されたのは明治6年(1873) のことになる。つまり国際電信が開始された時点では, 長崎からの電報は外国に通じていても, 東京にはつながっていなかった。

この年, 居留地内のベルビューホテルの一室を借りて長崎電報局が設置され, 国際電信の窓口業務が開始されたが, 明治6年(1873) になって国内各地との公衆電報の取扱も始まった。

余談だが, 明治新政府の所謂岩倉使節団の一員として欧米に派遣された大久保利通が, 明治5年(1872) にニューヨークから東京宛に発信した電報は, 5時間後には長崎で受信されたが, これが東京に届いたのはその3日後のことだったという逸話が残っている。 まだ長崎〜東京の電信が通じていなかったため 人手によって運ばれたためである。

長崎電信創業の地

写真

  • 国際電信発祥の地
  • 国際電信発祥の地
  • 国際電信発祥の地 碑文
  • 国際電信発祥の地 説明板
  • 国際電信発祥の地

碑文

国際電信発祥の地

明治四年六月(1871)デンマークの大北電信会社は長崎上海間に海底線を敷設しこの地に あったホテル・ベルビューの一室を借り わが国最初の国際電信業務を開始した 同年9月 長崎‐ウラジオ間の交信も開始された

昭和四十六年三月建之 長崎市長 諸谷義武

国際(こくさい)電信(でんしん)発祥(はっしょう)()(あと)
Site of Japan's first international telegraph station
국제전신발상지터
国际电信发祥地遗址

 明治4年(1871)長崎-上海(中国), 長崎‐ウラジオストック(露国)間に デンマーク系の大北電信会社によって, 海底電信線が開通した。
 これで日本と世界が初めて即時に情報交換ができるようになった。
ここが最初に設けられた通信所である。

地図

地図

長崎市南山手町 付近 [ストリートビュー]