日本 電信 発祥之地

にっぽんでんしんはっしょうのち

 
調査:
2006年8月(写真提供 S.M.さん)
2018年6月

長野電鉄屋代線の松代駅から南東に400m。松代幼稚園の北側に隣接して“旧松代藩鐘楼”がある。鐘楼の横に「日本電信発祥之地」と刻まれた石碑が建っている。

この地 松代は,真田幸村の兄・真田信之(松代藩初代藩主)が上田城から松代への移封を命ぜられて以来,250年間真田家10万石を統治した所で。海津城(松代城)があった。
松代藩士であった佐久間象山は.自らオランダ語を習得し,“ショメール百科全書”を基に電信機を製作し,松代藩鐘楼から70mの電線を通して,日本で初めての電信実験に成功した(1949=嘉永2年)。この実験で象山は“サクマシュリ”という文字を送ったと言われる。

この時に用いた 電信機は“トンツー”の電鍵ではなく,指針を円盤上に配列した文字に合せて 回転させ,この回転を接点の断続数として送信し,受信機では電気パルスの数だけ指示針が回転する仕組みの“ブレゲー式指字電信機”であった。
また 使用した電池は“ダニエル電池”であったと言われ,これも日本で最初に使用された電池であった。

鐘楼の前には,次のような説明板が設置されている。

旧松代藩鐘楼

長野市文化財
昭和四十三年十二月二十日指定

この鐘楼は,真田信之が元和八年(1622)十月,上田城から移り松代城主となってまもない寛永元年(1624)に設けたもので,ここに松代藩足軽千人余の番割りをした割番役所を置いたので,割番所ともいった。
 この鐘は,昼夜の別なく一時(いっとき)(約二時間)ごとにつかせて時刻を知らせ,また城下に出火の際に非常を知らせた。城下町のたび重なる火災で,享保二年(1717)・天明八年(1788)・寛政十二年(1800)の三回類焼にあい,初代・二代の鐘は焼損し,文化三年(1806)につくられた鐘は太平洋戦争中に供出された。平成三年旧鐘の寸法・重量を模して,新しい鐘がとりつけられた。
 寛永元年建築のものは,鐘楼と火の見が一棟建てだったが,寛政十三年の火災のあと別棟とし,享和元年(1801)に再建されたものが現存する鐘楼で,北隣りにあった火の見櫓は明治初期に取りこわされた。
 また,この鐘楼は嘉永二年(1849)佐久間象山がオランダ語の書物をもとに電信機を作り,北東七十メートルにあった御使者屋に電線を張り,両者の間で電信実験に成功した「日本電信発祥の遺跡」である。

平成八年九月

長野市教育委員会
松代史跡文化財開発委員会

松代藩鐘楼の場所には NTT松代電話交換所があったが,現在は廃止されて,以後施設は非公開となって柵の外から見るしかなくなっている。ご紹介くださいましたS.M.氏のページ 電気と切手の世界予備.zip)では塀がある写真等も見ることができる。

追記 2017.6

追記 2018.6

  • 訪問してみたら、日本電信発祥之地碑に並んで、日本電信発祥の遺蹟碑もありましたので、当ページにも追加した。

写真

  • 日本電信発祥之地
  • 松代藩鐘楼
  • 旧松代藩鐘楼 説明板(2018)
  • 旧松代藩鐘楼と日本電信発祥之地碑と日本電信発祥の遺蹟碑(2018)
  • 日本電信発祥之地 (2018)
  • 日本電信発祥の遺蹟 (2018)
  • 日本電信発祥の遺蹟 背面 (2018)
  • 日本通信発祥之地 背面 (2018)
  • 遊学 城下町 信州 松代 案内板

碑文

日本電信発祥之地

嘉永二年(一八四九年)佐久間象山先生は自製の電信機を使い、伊勢町の後使者屋と庁羽の鐘楼堂の間で通信に成功しました
日本の電信は、ここから始まります

一九五二年電氣通信記念日
日本電信電話公社建之

松代町 松浦薫 刻

日本電信発祥の遺蹟

嘉永二年(一八四九年)象山先生は自ら電信機を作り後使者屋の寓居から鐘楼堂へ電線を架け日本に於て初めて通信に成功したのであります

昭和二十八年十一月三日 信州文化祭 建立

地図

地図

長野市松代町松代 付近 [ストリートビュー]