松山 電信 発祥の地
まつやまでんしんはっしょうのち
伊予鉄道城南線 市役所前停留所のすぐ西側、松山城の堀端にある地下道からのエレベータ出口のすぐ横に平板型の石碑が建っている。
東京~横浜間で電信が開始されたのは1869(明治2)年。1873(明治6)年には東京~長崎間の幹線が開通し、これを軸として国内電信網が整備されていった。岡山に電信局が開設されると、ここから分岐して四国への電信線建設が計画され、岡山県~香川県の海底電線が敷設され、1876(明治9)年に香川県丸亀での電報業務を開始。1878(明治11)年に入ると電信線は愛媛方面に延伸され、丸亀~今治~松山~宇和島と松山~久万~高知に達した。この年、今治と松山に電信分局が開設された。
写真
碑文
松山電信発祥の地
日本電信電話公社
ここは 松山電信分局のあったところです
明治十一年九月二十五日 県下で初めてモールス通信による電報の取扱いが開始されました 太政官布告という当時の法令に「電信は瞬間萬里音信を通する至緊至妙の機関なり」と記され文化の先端を行くものとされていました
建物もそのころとしては珍しい洋館で見物にくるものが後を絶たなかったといわれています昭和四十七年十月二十三日
日本電信電話公社発足二十周年を記念して建立
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