船舶 無線電信 発祥地 記念塔

せんぱくむせんでんしんはっしょうちきねんとう

東海道本線 焼津駅から 北東に2.5km。焼津港の北側に駿河湾に少し突き出すように小高い山が 虚空蔵(こくぞう)山(標高126m)。石段が続く登山道(参道)を登ると,虚空蔵山の山頂付近に曹洞宗 香集寺(焼津市浜当目1727)があり,寺の東側に ピラミッドを思わせる四角錐のモニュメントと「船舶無線電信発祥地記念塔」と書かれた石碑が建っている。

無線電信は 明治28年(1895)にマルコーニによって発明され,その2年後には 英~仏間(ドーバー海峡 約35km) での無線電信のサービスが開始された。一方、日本においては,明治30年(1897)に 逓信省によって 船舶間(約2km)での通信実験に成功したのを皮切りに,その後海軍によって100km程度の通信に成功している。

明治36年(1903) 海軍が“三六式”無線電信機を開発。これの試験のために 焼津・虚空蔵山に無線試験所を設け,三浦半島との通信実験を行なった。この事実によって,この地は「船舶無線電信発祥地」とされている。

この無線電信機は 日露戦争の開戦に際して日本海軍の軍艦に装備され,明治38年(1905)の日本海開戦における勝利に大きな役割を果たした。この時の「敵艦隊見ユ」「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」という電文は有名である。

なお,無線電信が実戦に使われたのはこの海戦が世界最初であった。

虚空蔵山の山頂に建てたアンテナがどのようなものであったのか,資料が見当たらないため不明だが,現在は ひっそりと記念碑が建っているのみである。

写真


旧URL
https://www.hamadayori.com/hass-col/comm/SenpakuMusenDensin.htm

碑文

船舶無線電信発祥地
記念塔

昭和59年文月吉日建之
焼津市長 服部毅一

この地に無線電信試験所を設置した由来は明治三十六年日本海軍が時の逓信省と協同して三六式無線機の開発に成功したのち更に海上八十海里(約一五〇粁)に到達する性能を必要とし既存の三浦半島試験所から同距離に当る海岸に屹立し虚空山頂上を最適地として選んだものと伝えられております当時の海軍情報掌握手段として画期的なことであつたしこの地で多数の学生が養成され焼津無線電信練習所が太平洋の触角として重要な役割を果していたことがうかがわれます焼津の地に設置された船舶用無線電信機は日本最初のものであり二十二年後の大正十四年には焼津漁業協同組合が時代に魁けて漁業無線を開始するなど今日の基礎となったことは確かなことであります このような重要な施設が焼津市内に存在していたことが今人々の記憶から次第に消え去ろうとしております
故にゆかりの山頂に一碑を建立して史跡を彰し今人後世に末永く伝えるべく私共発起人一同念願している事であります

船舶無線電信発祥地記念塔

明治三十六年(1903),海軍は この地に無線電信試験所を設け, 国産の無線電信機で三浦半島間 八十海里(約150キロメーター) の交信実験を行った。
これは日本で初めてのことであり 後世に伝えるためゆかりの地に記 念碑を建立した。

発起人一同

地図

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焼津市浜当目 付近 [ストリートビュー]