習志野 地名 発祥の地
ならしのちめいはっしょうのち
新京成線 習志野駅の南東およそ500m。薬円台公園の東隅「郷土資料館」があり, その向かい合う位置に船橋市の設置した碑と「明治天皇駐蹕之処」という大きな石碑が 建っている。
写真
碑文
船橋市指定文化財(史跡)
習志野地名発祥の地附 明治天皇
駐蹕 之 処 の碑1968年(昭和43)12月19日指定
この地域一帯は, 江戸時代には徳川幕府の
下総 小金五牧 のうちの下野牧 の一部で, 小金原あるいは大和田原といわれ,野馬 の放牧が行われていた。
明治六年, この原で近衛兵 の天覧 演習が行われ, 明治天 皇は四月二十九日, 県下に初めての行幸 をされた。行幸には,徳大寺 宮内 卿 ・西郷隆盛 ・篠原国幹 ほか多くの供奉者 が従い,薩摩 ・長州 ・土佐 の兵からなる四個大隊二千八百人の近衛隊が率いられていた。
天皇は翌三十日に演習をご覧になり, 五月一日皇居へ還御 された。同十三日, 天皇より勅諭 をもって, この原に「習志野ノ原」の名を賜 わり, これが現在の「習志野」の地名の発祥とされている。「習志野ノ原」は昭和二十年まで陸軍演習地として使用されていた。
この碑は仙台石製で大正六年に建てられ, 習志野台四丁目四三一の三にあったが, 平成六年六月に現在地に移転した。碑文には地名を賜った由来 が記されている。一九九四年(平成六)八月
船橋市教育委員会
明治天皇駐蹕之処
元帥陸軍大臣公爵山県有朋謹書 習志野之原在千葉県下総国千葉郡壙野沙漠連小金原本無特称明治六年四月二十九日天皇率近衛兵親臨露営干此地櫛風沐雨統監演武認地形尤適練習五月十三日賜名習志野之原永定為陸軍操練場習志野之原名称昉於茲今謹記其縁由云
大正六年十月建
陸軍大臣大島健一