南極大陸探検

なんきょくたいりくたんけん

ゆりかもめ芝浦ふ頭駅から北へ歩き、首都高速が上を走る都道316号線沿いにある区立の児童公園「埠頭公園」(港区海岸3丁目)の角に立派な碑が建つ。日本初の南極探検を行った白瀬中尉の探検隊を乗せた船が明治43年(1910)、この芝浦ふ頭から出航したことを記念した碑だ。碑の中央には白瀬中尉が乗って南極へ向う開南丸が描かれたレリーフが埋め込まれ、両脇には南極を象徴するペンギン像が立っている。

碑の下部には昭和11年(1936) の建立当時に由来の碑文と、南極探検隊の名簿が記されている。碑の側面にある説明によれば、痛みが激しかった記念碑は昭和62年(1987) に修復されており、現在もよく手入れされている。碑の脇には碑文を現代語訳した説明文もあって親切だ。

公園内を見渡すと、夏場に子どもたちが水遊びをする池にも4羽のペンギン像が立っていたり、帆船を模した木製遊具が「開南丸」となっていたりと、南極をテーマに公園を作り込んでいる様子がわかる。

碑の付近には、白瀬中尉の名をとって命名され、昭和58年(1983) から平成20年 (2008) まで南極観測で活躍した砕氷船初代「しらせ」のスクリューの1枚があわせて展示されている。

「発祥の地」とバッチリ書いてはいないが、わが国最初であることが明示され、モニュメントが整備されているのでコレクションに追加した。

写真

  • しらせ プロペラ
  • しらせ プロペラ説明板
  • 南極探検発祥の地 説明板
  • 南極探検発祥の地 芳名録
  • 南極探検発祥の地 主碑文
  • しらせ 説明板
  • 副碑
  • 南極探検発祥の地
  • 南極探検発祥の地 副碑
  • 南極探検発祥の地 ペンギン
  • 南極探検発祥の地
  • 開南丸と名づけられた遊具

碑文

この記念碑は、明治45年白瀬のぶ中尉ら27人による我が国最初の南極大陸探検の壮挙を記念して、昭和11年に建てられたものです。
その後、長い年月を経てペンギン象のくちばしや、つばさが損傷するなど、痛みがはげしくなったため、港区が文化財を保存する立場からその制作者である芸術院会員、彫刻家、故朝倉文夫先生の関係者に依頼して復元しました。

 昭和57年11月

東京都港区

南極探検隊事蹟概要

明治43年(1910)11月28日南極探検隊長陸軍輜重兵中尉白瀬矗以下一行27名ハ204噸ノ小帆舩開南丸(元帥東卿平八郎命名)ニ搭乗シ舩長野村直吉是ヲ指揮シ當時ハ楢蒼海ナリシ此地黙ヲ抜錨シ一路南進ノ航程ヲ起シタリ狂瀾怒涛ヲ冒シ櫛風沐雨航走70餘日後ノ翌明治44年(1911)2月8日ニュージーランド、ウエリントン港ニ到着シ休息3日2月11日紀元節ノ佳晨ヲトシテ南氷洋ニ向ヒ難航更ニ50日3月14日南緯74度16分ニ到達シタリシモ既ニ南極圏内ハ結氷ノ時期ニ入リ前進不可能ナルヲ以テ一度背信スルノ止ムナキニ至リ5月1日濠洲シドニーニ回航シテ用舩ヲ修復シ再舉ノ準備ヲ整へ11月19日シドニー港ヲ解纜シテ第二次探検ノ途ニ上ル
明治45年(1912)1月16日南極大陸鯨湾頭ニ上陸シ白瀬隊長以下5名ノ突進隊ハ直南ノ氷野ヲ橇行シテ28日南緯80度5分西経156度37分ノ地黙ニ到達シ同地黙ヲ「大和雪原」ト命名シ日章旗を樹立シ学術エキ観測を終ヘテ同明治45年(1912)2月4日根璩地鯨湾頭に歸還セリ
 又沿岸支隊ハ残餘ノ隊員ヲ以テ組織シ更ニ東航シテ同月23日エドワード7世洲ニ到達シ前人未到ノ地域ニ上陸シ海陸ノ探検ニ従事シタリ一行ハ此間「開南港」「大隈湾」「四人氷河」「したわし山」等日本男児ニ於テ最初ノ足跡ヲ南極地域ニ記録シ動物鉱物等ノ採集ヲナシ極地ニ於ける航海天文気象博物等ノ各学術上幾多ノ貢献ヲ遂ゲ6月20日此地黙ニ歸航シ祖國ヲ仰グ
按ズルニ往年欧米探検隊ノ列ニ入リテ日本男児ノ意気ヲ発揚シタル我南極探検隊ノ事蹟ハ最近米国南極探検家バード少将ニ依テ其足跡ヲ再確認サルヽアリ又近来本邦捕鯨舩ハ続々南氷洋ニ進出シ好成績ヲ示シツヽアリ往年ノ献身的努力ガ徒爾ナラザリシ證在タルヲ信ズ今茲25周年ノ出発記念日ヲ迎フルニ際シ此碑ヲ建立シ一ハ以テ壮烈勇敢ナル快挙ヲ後世ニ傳ヘ一ハ以テ後進青春ノ徒ニ探検思想鼓吹ノ指針タラシメント欲ス

維時昭和11年(1936)11月28日

南極探検25周年記念會

総裁侯爵      大隈信常
委員長文学博士  三宅雄二郎

南極探検について

 我が国で初めての南極探検は、明治43(1910)年白瀬矗(のぶ)隊長以下27名によるものです。
 まだ青く美しい海であったこの地芝浦同年11月28日小帆船開南丸(204トン・野村直吉船長)にて出航し、70日あまりの後ニュージーランドのウェリントン港に入港しました。隊員の休息と燃料や水の捕球をして明治44(1911)年2月11日同港を南氷洋に向け出航し、悪天候と戦いながら3月14日南緯74度16分に達しました。この時南極圏は氷結期に入っていたのでそれ以上の前進は不可能であり、5月1日オーストラリアのシドニー港に回航しました。南極の夏を待つため6カ月あまりここに滞在して船の修理や食料・防寒着等を整え、11月19日同港を出港し、明治45(1912)年1月16日南極大陸のホエール(鯨)湾に上陸しました。白瀬隊長以下5名は2台の犬ぞりに氷野を前進して苦難の末1月28日南緯80度5分、西経156度37分の地点に到達し、日章旗を立て、ここを「大和雪原」と命名しました。又、留守隊は沿岸の前人未踏の地域を探検しました。一行は天文気象等学術上多くの成果をあげ、6月20日全員元気に芝浦に帰港しました。
 この偉業を後世に伝えるため、25周年の出発記念日にあたる昭和11(1936)年11月28日にこの南極探検記念碑が建立されました。

昭和59年10月東京都港区

芳名録は省略した

地図

地図

港区海岸3丁目 付近 [ストリートビュー]