日本 パイン産業 発祥の地
にっぽんぱいんさんぎょうはっしょうのち
写真
碑文
大同拓植パイン工場跡
日本パイン産業発祥の地
日本パイン産業発祥の地
大同拓殖パイン工場跡地
1935年(昭和10)年、台湾中部の員林地方からパイン栽培を目的に約60世帯330人の農民を募集して入植した大同拓殖グループはパイン種苗20万本を栽培した。1938年にパイン工場をつくり初めて缶詰1000箱を製造した。日本でのパイン缶詰生産の始まりである。1940年には5000箱を輸出したが、翌年太平洋戦争が勃発し戦時統制で空き缶の調達が困難となり、さらに1943年、陸軍大臣令でパインがぜいたく品とされて栽培が禁止された。
その後、沖縄戦で工場は消滅した。戦後、沖縄本島から開拓移民として入植した当銘幸栄氏が同地を買い取り、工場跡地を利用して住居と作業所を建てたため、当時の土台や、井戸が残された。
2012年8月「台湾農業者入植顕彰碑」を建立したのを機に関連事業として記念碑を設置した。2012年9月15日
台湾農業者入植顕彰碑建立期成会
会長 伊波 剛