亜麻産業 発祥の地

あまさんぎょうはっしょうのち

札幌市営地下鉄南北線の麻生あさぶ駅から 南西に150m。麻生総合センターの西隣に“麻生緑地”がある。シラカバなどの樹木の間の道路近くに「亜麻の畑」と書かれた説明板が建っている。ここに 麻生町が「我国、亜麻産業発祥の地」であると書かれている。

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亜麻はアマ科の植物で、柔らかく丈夫な上質の繊維がとれる。亜麻の繊維はリネン(リンネル)とも呼ばれて、上質のものは女性の下着(ランジェリー)に使用されたり、かつては 強靱さを求められる 帆布・テントなどに利用された。

また 種子からは亜麻仁油(あまにゆ)が採れ、食用にされたり 塗料に用いられたりする。

亜麻は 寒冷地で栽培され、日本における亜麻の栽培適地は 北海道だけと言われる。

明治初期、北海道開拓使の榎本武揚が亜麻の栽培を導入し、繊維用として北海道で広く栽培されるようになった。

1890(明治23)年には「北海道製麻株式会社」(後に 帝国製麻、帝国繊維 と社名変更)が設立され、道内各地に亜麻から繊維をとる“製線工場”が開設されていった。亜麻の栽培面積は、1945(昭和20)年に 道内で4万ヘクタールにも達して、ジャガイモの栽培面積にも匹敵する規模であった。

しかし、戦後は 化学繊維の台頭により亜麻の栽培は衰退し、1968(昭和43)年に亜麻の姿は消えてしまった。(近年、2000年代に入って、種子から食用の亜麻仁油を採るために、北海道の一部で栽培が復活している。)

この地「麻生」(“あぶ”ではなく“あさぶ”と読む)の地名は、昔ここに“亜麻工場”があったことに由来する。

1890(明治23)年に 8万坪の広大な敷地に開設された 日本で最初の製麻工場は、1957(昭和32)年に閉鎖された。跡地は住宅団地として開発されたが、その際に 旧地名(琴似町ことにちょう字新琴似番外地)から 亜麻の「麻」の字をとって「麻生」という地名に変更された。

このことから 麻生の地は「我国 亜麻産業発祥の地」と呼ばれる。

なお 麻生緑地から 500mほど北東の 麻生町3丁目に「帝国製麻琴似製線工場跡」がある(地図)。住宅街の中の狭い道路の真ん中に大きなアカマツの木が堂々と繁っていて、その根元に 北区が設置した案内標識が建ち、次のように書かれている。

北区歴史と文化の八十八選
(44)帝国製麻琴似製線工場跡

明治7年(1874年)当時のロシア公使・榎本武揚が開拓使長官・黒田清隆にロシア産の亜麻種子を送ったのが、本道の亜麻栽培のはじまりであったと言われている。

明治20年(1887年)に後の帝国製麻株式会社となる亜麻会社が発足。現在の麻生町一帯の約8万坪(244,000平方メートル)の地に製線工場を建設 し、同23年に操業を開始した。明治後期、亜麻事業は全盛期を迎え隆盛を続けたが、昭和20年代に入り原料のコスト高や化学繊維の進出などで、工場は閉鎖 の運命を余儀なくされた。昭和32年(1957年)のことである。ここは、工場長宅があったところで、当時からのアカマツが残っている。工場は現在の麻生球場付近になったと言われている。

平成15年4月
札幌市北区役所

写真

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碑文

亜麻の畑

亜麻の花咲く手づくりの里

亜麻は人類が用いた最古の繊維植物と言われています。

明治開拓の時代から第2次大戦後まで、北海道の主要作物として全道各地に亜麻の姿を見ることができました。

亜麻はアマ科の一年生双子葉植物で、衣料となる繊維用亜麻と亜麻仁油の原料となる採種用亜麻とに大別されます。

生育日数は約100日と短く、播種後60日程度でまっすぐに伸びたしなやかな茎先に直径約1cmの小さく可憐な花(淡青紫色か白色)がほころびます。

開花期間は2~3週間ですが、一つの花の寿命は短く,夜明けと共に咲き昼頃には早くもその姿を消し去ってしまいます。

麻生町は「我国、亜麻産業発祥の地」と称された歴史を残そうとする先人の思いを込めて名付けられました。

かつて,円山や植物園を水源とするサクシュコトニ川がこの地を蛇行していた頃、新琴似屯田兵村に隣接して帝国製麻(前身は北海道製麻)の亜麻工場が在った処です。

麻生町に咲く亜麻の花、ご一緒に楽しみ下さい。

コニュニティー紙 5叉路
あざぶ商店街  707-9923

地図

地図

北海道札幌市北区北三十九条西5丁目麻生緑地 付近