日本 酪農 発祥之地
にっぽんらくのうはっしょうのち
内房線 安房鴨川駅から西へおよそ10km。房総半島の中心近くを南北に縦走する国道410号の近くに、“千葉県酪農のさと”がある。これに隣接して千葉県畜産総合研究センターの付属施設である“嶺岡乳牛研究所”があって、その事務所の前に自然石に「日本酪農発祥之地」の文字と白牛の姿が刻まれた石碑が建っている。
房総半島の中心部に広がるこの一帯には、遠く平安の時代から馬が放牧され、鎌倉時代から戦国時代にかけては軍馬を生産するための牧場として利用され、さらに江戸時代には幕府が直接管理する牧場となった。
享保13年(1728) にオランダ人から白牛(乳牛)3頭が輸入され(インド産と言われる)、この嶺岡牧で飼育された。これから得られた牛乳から“白牛酪”という乳製品が作られ、疲労回復・強壮・解熱の薬として珍重されたという。
明治以降は千葉県の種畜場となり、嶺岡乳牛試験場として酪農指導の拠点となり、千葉県の酪農の発展に貢献している。千葉県は栃木県などと並んで北海道に次ぐ酪農県である。
この地は、昭和38年(1963) には千葉県史跡に指定され、日本における酪農の発祥の地とされている。
リンク
千葉県 酪農のさと 白牛酪を作ってみるイベント等も開催されるようです
愛しの牛乳パック 白牛酪のレシピを取り寄せて作ってみたようですw
写真
碑文
日本酪農発祥之地
千葉県指定史跡
日本酪農発祥地
房総の地は平安時代から馬牧が盛んであった。 戦国時代には里見氏が軍馬育成のため、 この嶺岡に馬牧を興したと伝えられる。 慶長一九年里見忠義は、伯耆に移封されこの牧は幕府の直轄地となった。 将軍吉宗の享保七年幕府は、牧の管理を規制し牧士七名を任命した。 同九年には八丁峰窪所に牧番の萱屋一棟が建てられ、 同十年から隣接する村の田畑との仕切土手等も漸次築かれた。
享保十三年外国産の白牛三頭が放された。 この白牛は寛政の頃には七十余頭に蕃殖し、 幕府は小納戸頭取岩本石見守に命じて白牛酪をつくらせ、また、町医桃井源寅に「白牛酪考」一巻を撰述させて刊行した。 この地は江戸時代の牧の一部にすぎないが牧の中心にあたり、 日本酪農の発祥地として意義深いものがある。
- 所在
- 安房郡丸山町大井字峯岡坪囲二五三七番地
- 指定年月日 昭和三十八年五月四日
白牛酪
白牛の乳を唐銅の鍋に入れて砂糖を混ぜ、火にかけて丹念に掻き混ぜながら石鹸ぐらいの堅さになるまで煮つめて亀甲形にしたもので慶応三年まで製造が続けられ薬用として珍重された。