大分県 幼稚園 教育 発祥之地
おおいたけんようちえんきょういくはっしょうのち
大分府内城から国道を挟んだ南東に西日本電信電話府内ビル(大分市府内町3丁目6-11)があり、北西の玄関脇に小振りな石標が建つ。
明和8年(1771)に藩校として設立された府内
明治25年(1892)に、小学校の2教室が割り当てられ、保母4人園児82人で附属幼稚園が開園した。明治31年(1898)には、勘定所跡(大分女学校跡)に移転。明治41年(1908)には小学校令により改組され、大分女子尋常高等小学校の付設幼稚園となる。大正8年に勘定所跡を取り壊して園舎を新築。昭和18年(1943)には軍への供出用のそばが園地に植えられた。昭和20年(1945)に空襲で全焼、昭和26年(1951)に新校舎落成し、60周年式典が行われた。昭和40年(1965)に増築され、平成4年(1992)に100周年式典が行われた。
平成12年(2000)に、児童減少により閉園。
この碑のすぐ左側には、電信電話発祥碑があり、碑文によると明治10年(1877)に電信、明治42年に電話が開通している旨が記されている。この地に明治25年に幼稚園が開園したとなると、
なお、大分小学校の後継となる揚場町小学校は平成29年(2017)に閉校となり、碩田中学校、中島小学校、住吉小学と統合されて小中一貫義務教育校として再スタートした。
写真
碑文
大分県幼稚園教育発祥之地
大分幼稚園跡地
創立
明治二十五年九月十一日平成四年十二月四日
創立百周年記念事業