大河内氏 発跡地

おおこうちしはっせきち

名鉄西尾線 福地駅から西におよそ3km。寺津八幡社の境内, 社殿に向って右側に非常に背の高い石碑が建っている。

石碑の高さは 6~7mもあるだろうか。これほど細長い石碑は珍しい。石碑の裏面には推定300字ほどの漢文が書かれているが, 石碑が高いこともあって読み取れていない。

大河内氏は清和源氏の一族で, 源頼政の孫にあたる 顕綱あきつなが三河国大河内郷(現 岡崎市)に移り住み, 土地の名から大河内氏を称したのが始まりで, 子孫は 吉良氏に仕えて勢力を獲得し寺津を支配した。従って本来ここ寺津は「発祥地」ではないとも言えるが, 寺津八幡が 初代 顕綱によって創建されたことや, 10代信政の時に寺津城を築き 長く寺津の地を領地とした関係で「大河内氏発跡地」の碑が建てられている。
12代秀綱のとき徳川家康に仕え, 正綱の代に大名となり, この為 大河内一族は「松平」姓を名乗るようになり, 「大河内松平家」と呼ばれた。

“智恵伊豆”松平伊豆守信綱は大河内氏14代である。

写真

  • 大河内氏発跡地
  • 大河内氏発跡地
  • 大河内氏発跡地
  • 大河内氏発跡地 碑陰
  • 大河内氏発跡地 碑陰

碑文

大河内氏発跡地

愛知縣

地図

地図

西尾市寺津町 付近 [ストリートビュー]