奥間 鍛冶屋 発祥の地
おくまかんじゃやーはっしょうのち
写真
碑文
奥間鍛冶屋発祥の地
奥間鍛冶屋は沖縄の鍛冶屋の祖として知られている。
国頭・奧間の地で生誕した奧間大親は後に、浦添間切謝名村に居住し長男察度(1321年~1395年 浦添按司・中山王)と次男泰期・金満按司ほかを生んだ。
泰期・金満按司は異母兄察度が1350年中山王に就くと、兄の死者として、1372年~1382年の5回明に進貢に遣わされこれが琉球と明との通交の始めとされている。明との交流はその後の琉球の政治・経済・文化の発展に多大な影響を与えている。
泰期・金満按司は明から、当時貴重な品である陶器や鉄製品を持帰り、その製作・修理の知識、技術を身につけて、後に奧間に下って鍛冶屋を始めたとされている。
奧間は山林が間近で、水・炭が豊富にあり、近くに鉄材料の仕入れや製品の積み出しに好条件な港があったこと、父奧間大親の出生地であることが奧間の地を選んだり理由と思われる。生活向上に大きな役割を果たしたと伝えられている。
この泰期・金満按司が奧間鍛冶屋の始祖である。2011年8月吉日
奥間鍛冶屋子孫:座安家(屋号 東り)