大阪に 初めて 登場した カフェ
おおさかにはじめてとうじょうしたかふぇ
大阪地下鉄 中央線・千日前線 阿波座駅の西500m、大阪市立本田小学校(大阪市西区川口1丁目5-19)の北東隅のフェンスに、表示が取付けられている。
なお、同小学校北西隅には川口居留地跡を示す碑がある。
本田小学校のフェンスにある「カフェー•キサラギ跡」
— sawamills (@sawamills) October 29, 2022
川口居留地がカフェの発祥の地だそうで。 pic.twitter.com/QJPA2OMYyF
写真
碑文
大阪市顕彰史跡第175号
カッフェー・キサラギ跡
(西区川口)旧川口居留地の一角に営まれ、大阪におけるカフェの草分けであった。明治末~大正初めに、演劇・美術・文学など、異なる分野の芸術家たちの交流するサロンとして賑わった。
大阪市教育委員会
(史跡の詳しい内容は大阪市のホームページ www.city.osaka.lg.jp でご覧ください)
カッフェー・キサラギ跡(西区川口)【大阪市顕彰史跡第175号】
明治末年、大阪に初めて登場したカフェである。場所はもとの川口居留地に近く、川口教会の南東に位置していた。木津川に面して建てられた建物からは、川をはさんで江之子島にあった旧大阪府庁を望むことができた。同店では喫茶と洋食を供していたが、店に入ると靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて板敷きの室内に上がる、といったしつらえであった。また、室内の中央には大きなストーブが置かれ、その周囲に木宅や椅子が無造作に置かれていた。しかし、大阪で初めてのカフェとあって、画家の小出楢重・鍋井克之・足立源一郎、歌舞伎作者の食満南北(けまなんぼく)、詩人の百田宗治、ステンドグラス作家の鶴丸梅太郎らが「プライム会」と称して毎月集った。対象に入ってからは、道頓堀に「カフェ・パウリスタ」、千日前に「カフェ・ナンバ」、新世界に「カフェ・ミカド」が登場した。カフェに集った人々が中心となってさまざまな文芸雑誌も誕生した。