音更町 寺子屋 教育 発祥の地
おとふけちょうてらこやきょういくはっしょうのち
根室本線 帯広駅から北へ14kmほど。音更町東音更幹線沿いに小振りな解説版とステンレス製の標柱が設置されている。
明治30年頃から、岐阜の
写真
碑文
音更町寺子屋教育発祥の地
音更町寺子屋教育発祥の地
小学校から大学までの学制が明治五年(一八七二)にしかれ、教科書が明治十九年(一八八六)に国定とされる中、明治三十年(一八九七)、岐阜県から「武儀団体」が中士幌原野に入植しましたが、子弟の教育の機会、設備が無く親たちの悩みでした。
明治三十一年(一八九八)、幹線十二番地に堀勝十郎が児童七名を自宅に集めて「寺子屋式教授場」をつくりました。これが音更初の子弟教育の始まりです。
以後、各農場や団体移民・然別・下士幌等地区ごとに「官位教育所」「特別教授所」等が設置されていきました。音更町教育委員会
平成二十五年十月