地名「大塚」発祥の地
おおつかはっしょうのち
地下鉄丸ノ内線 茗荷谷駅の南西100m。跡見学園の東門に通じる道路のの入口付近に 三井住友銀行の研修所があり, その敷地内に 発祥碑が建っている。かつてこの地には古墳があったと言われ, 大塚はこれにちなんだ地名である。
寛永6年(1629) の文書には 既に「大塚」という地名が見られる。
明治に入ってからここに「帝国女子専門学校」「静修女学校」などの学校が開設されたが, 戦災で焼失し、後に三井銀行が取得して現在に至る。
三井住友銀行茗荷谷研修所は現在は表札がとりはずされ、銀行のウェブでも「旧」という扱いになっており使われていないらしい。今後、所有者が変わると碑が移転する可能性も高いと考えられる。
写真
碑文
地名「大塚」発祥の地
日本高等女学校明治三十三年創立帝国女子専門学校明治四十三年創立静修女学校大正四年創立以上三校の旧校地ここ大塚七十番地の校庭の一隅に樹木に囲まれた稲荷の小祠があった。元来これは先史時代の古墳で昔から大塚といわれて居り馬琴の八犬伝に見え大塚の里は即ちこの附近一帯の土地であってこの古墳に因んだ名称である。小祠は学校と共に昭和二十年の戦災によって焼失しその焼跡は三井銀行の所有となって二十五年の歳月が流れた。卒業生有志は由緒あるこの古墳の湮滅を憂い三井銀行に懇請して幸に承諾と後援とを得石碑を建立て永く後世に伝える
昭和四十六年六月吉日
東京大学名誉教授文学博士 宇野哲人選
干時齢九十七歳
日本書道連盟理事 青蓼 深沢邦一書発起人 相模女子大学理事 上床雪
建立 三井銀行