陸軍挺進滑空飛行第一戦隊 グライダー部隊 発祥之地 記念碑
りくぐんていしんかっくうひこうだいいちせんたいぐらいだーぶたいはっしょうのちきねんひ
関東鉄道常総線 下妻駅から東に6Km。全農飼料畜産中央研究所の広い敷地の東隣にある“作岡保育園”の敷地内にこの碑がある。
この地は終戦時まで、陸軍の“西筑波飛行場”があった。主として 操縦士の訓練などに使われたらしい。
エンジンのないグライダーは戦闘機や爆撃機などには使用できず、多くの場合は兵員や車両などの輸送用に使われた。その目的は、敵地に兵員を投入・急襲することであり、通常はパラシュート部隊の降下で実施する作戦だが、パラシュートなどの特殊な訓練を受けていない多数の兵員を敵地に降下させることがグライダー使用の主目的であり、陸軍は第二次世界大戦の初期におけるドイツ軍のグライダーによる攻撃の成果に注目していた。
陸軍がグライダーの軍事利用に本格的に力を入れ始めたのは、昭和17年(1942) ごろからで、宮崎県新田原に“滑空班”が設けられ、翌年にはこの地“西筑波”に移動して訓練が開始された。昭和19年(1944) に滑空班は「滑空飛行第一戦隊」と改称された(第二、第三戦隊は存在しなかった。)
同年 フィリピンへの出動命令が出たが移動途中の事故のため中止になり、さらに沖縄での作戦も計画された。これはグライダーを利用した「特攻作戦」だったが、終戦のため中止になり、結局ほとんど実戦に参加することなく、軍用グライダーの歴史は終わった。
写真
碑文
陸軍挺進滑空飛行第一戦隊
グライダー部隊
発祥之地記念碑戦友会一同
昭和六十二年九月三十日