流雪溝 発祥の地

りゅうせつこうはっしょうのち

上越線 小出駅から南東に400m。魚野川に架かる小出橋の東詰め南側に,川を背にして黒褐色の大きな「流雪溝発祥の地」碑が建っている。

「流雪溝」は,自然に流れる水の運搬作用を利用して 雪の塊を流して排雪するための施設で,道路に水路を設け そこに川の水などを流して雪を河川まで運ぶための施設。人力や機械によって流雪溝に雪を投入する。昭和初期から利用されはじめ,北陸・東北・北海道などの豪雪地帯で多く設置されている。

魚沼市は周囲を山に囲まれた盆地で,冬期は2~3mのの積雪がある日本有数の「特別豪雪地帯」で,過去何度も記録的な豪雪を経験している。最大の積雪量は 昭和20年(1945) に4.4mという記録がある。

下記の碑文にも書かれているように,この地方では古くから製糸業が盛んで,その動力である水車を動かすために,街中にホーリッコと呼ばれる水路が引かれていた。大正期に入ると水車は電力に切り換えられたが,ホーリッコは生活用水として利用され,冬季には雪によって水路が遮られて洪水を起こすのを防ぐため ホーリッコの水量をしぼっていた。

1934(昭和9)年に4m近い豪雪に見舞われ,屋根の雪下ろしをした道路は 屋根の高さより高くなり,町の生活は麻痺状態となった。この状態を解消するため,ホーリッコの水量を増やして雪を流すことが試みられ,浸水事故もなく除雪することに成功した。これが流雪溝の始まりで,これ以後 流雪溝は町内の隅々まで普及し 現在にいたっている。

なお,流雪溝に無制限に雪を投入すれば雪は流れず 当然浸水事故が起きるため,スムーズに運営するためには 地域住民による管理体制が重要で,細かな運用・管理のルールが設けられ実施される。

写真

  • 流雪溝発祥の地
  • 流雪溝発祥の地
  • 流雪溝発祥の地 碑陰
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碑文

上越線 小出駅から南東に400m。魚野川に架かる小出橋の東詰め南側に,川を背にして黒褐色の大きな「流雪溝発祥の地」碑が建っている。

「流雪溝」は,自然に流れる水の運搬作用を利用して 雪の塊を流して排雪するための施設で,道路に水路を設け そこに川の水などを流して雪を河川まで運ぶための施設。人力や機械によって流雪溝に雪を投入する。昭和初期から利用されはじめ,北陸・東北・北海道などの豪雪地帯で多く設置されている。

魚沼市は周囲を山に囲まれた盆地で,冬期は2~3mのの積雪がある日本有数の「特別豪雪地帯」で,過去何度も記録的な豪雪を経験している。最大の積雪量は 昭和20年(1945) に4.4mという記録がある。

下記の碑文にも書かれているように,この地方では古くから製糸業が盛んで,その動力である水車を動かすために,街中にホーリッコと呼ばれる水路が引かれていた。大正期に入ると水車は電力に切り換えられたが,ホーリッコは生活用水として利用され,冬季には雪によって水路が遮られて洪水を起こすのを防ぐため ホーリッコの水量をしぼっていた。

1934(昭和9)年に4m近い豪雪に見舞われ,屋根の雪下ろしをした道路は 屋根の高さより高くなり,町の生活は麻痺状態となった。この状態を解消するため,ホーリッコの水量を増やして雪を流すことが試みられ,浸水事故もなく除雪することに成功した。これが流雪溝の始まりで,これ以後 流雪溝は町内の隅々まで普及し 現在にいたっている。

なお,流雪溝に無制限に雪を投入すれば雪は流れず 当然浸水事故が起きるため,スムーズに運営するためには 地域住民による管理体制が重要で,細かな運用・管理のルールが設けられ実施される。

地図

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魚沼市本町1丁目 付近 [ストリートビュー]