西畑人形 発祥之地
さいばたにんぎょうはっしょうのち
土讃線 朝倉駅から南南東に10km。西畑バス停の近くに“宅老所デコの里”がある。この前に大きな白っぽい石碑が建っている。
「西畑人形」とは,明治初年に土佐の農村 西畑村創始された人形劇。高知では人形を“デコ”といい,人形芝居は“デコ芝居”と呼ばれた。明治~大正期には農民が一座を組み,最盛期には34座が活動したという。農閑期に四国内のみならず 中国・九州で興行を行い人気を博した。
昭和に入って次第に衰退し,戦後は全く見られなくなったが,1996(平成8)年に「西畑人形芝居保存会」が発足し活動を続けている。
人形劇(人形芝居)は人形の操作方法によって“手遣い人形”“棒使い人形”“糸繰り人形”などに分類される。西畑人形は片手で首を持ち,片手で人形の差し金を使う棒使い人形劇であるが,初期には指で頭を操作する手遣い人形であった。
写真
碑文
西畑人形発祥之地
西畑人形芝居とは
西畑人形芝居が誕生したのは明治十二年頃。当時西畑の大工で農業もしていた柳井十蔵と,同じく大工で農業だった矢野小三郎共に器用で,特に芸事を好み得意の浄瑠璃を披露する時,十蔵が卵の殻に目口を描き,袱紗を指に巻いて卵に指し,横にした襖の上に人形を出して謡いに合せて面白おかしく踊らせたのが大いに受け,人形芝居を本格的に始めることになった。以後研鑚を重ね人形も大きくなり,有名な差し金棒使い人形の技法が考案された。この技法は画期的なものであった。
この民衆の想像力の豊さを後世に伝える為に,ここに碑を建てるものである。平成十三年四月吉日