婦人 参政権 発祥之地

ふじんさんせいけんはっしょうのち

土讃線 円行寺口(えんぎょうじぐち)駅から南南東に1km。土佐電鉄伊野線 上町二丁目停留所の北東100m。
市立第四小学校正門の西横に黒い石碑が建っている。

いまさら講釈でもないが,参政権とは 選挙権(議員や自治体の首長などの選挙で投票する)と被選挙権(選挙に立候補する)などを指す。現在日本では 選挙権は 満 20歳以上 18歳以上の,被選挙権は 満25歳以上(参議院議員・都道府県知事は満30歳以上)の全ての男女国民に与えられているが,この制度は太平洋戦争後 1945(昭和20)年の法律改正によって取り入れられたもので,次のような経過をたどり,長い間性別や財産による差別が行われてきた。

1878(明治11)年
府県会規則により 初の地方議会選挙を実施。税金を5円以上納めている男子に制限。
1889(明治22)年
満25歳以上,国税15円以上を納めている男性に選挙権付与(制限選挙)
1925(大正14)年
納税条件を撤廃。満25歳以上の男性全員に選挙権付与
1945(昭和20)年
満20歳以上の男女に選挙権付与(普通選挙)

しかし 日本政府のこのような政策にもかかわらず,四国の高知では女性の選挙権が認められていた。

楠瀬(くすのせ)喜多(きた)は高知生まれで,21歳で結婚したが17年後に夫と死別。子供がいなかったため喜多が戸主として相続した。しかし 1878(明治11)年に高知県の区会議員選挙で,戸主として納税しているのに女性であることを理由に投票が認められなかった。当時は府県会の選挙権は“満20歳以上の男子で,税金5円以上を納める者”に与えると定められていたものの、区町村会については全国的な統一基準が設けられてはいなかった。このため,女性であるだけで、選挙権が認められないことに抗議して高知県庁へ抗議文を提出した。

高知県はこの要求の受け入れを拒否したため,楠瀬は内務省にまで意見書を提出した。その結果,1880(明治13)年になり ,区町村会選挙規則制定が各区町村会に認められたため,上町町会では日本で初めて,戸主に限り女性の選挙権が正式に認められた。その後、隣の小高坂村でも同様に認められた。

しかし 1884(明治17)年になると,政府は区町村会法を改正し,規則制定権ガ区町村会から取り上げられ,参政権は男性のみと規定されたため,わずか4年間で女性の選挙権は消滅してしまった。

その後も喜多は女性解放運動を続けて“民権ばあさん”と呼ばれ,この地は婦人参政権発祥の地となった。


法改正により、平成28年(2016)から日本の選挙権は18歳以上となった

写真


旧URL
http://hamadayori.com/hass-col/culture/FujinSanseiken.html

碑文

婦人㕘政權
發祥之地

沢田明子書

自由民権運動の高まりの中で明治11年(1878)楠瀬喜多は男女同権の理を論拠に投票を要求した 喜多の願った婦人の選挙権・被選挙権は2年後 土佐郡上町町会の闘いにより上町町会規則に既定 続いて小高坂村にも実現し権利が行使された「男女同権ハ海南ノ某一隅ニヨリ始ル」と当時の高知新聞は絶賛
先人たちの偉業を顕彰しここ上町町会跡に碑を建てる

1990.4.10

婦人参政権発祥の地に記念碑を建てる会

婦人参政権発祥之地 碑

地図

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高知市上町2丁目 付近 [ストリートビュー]