清和源氏 発祥の宮
せいわげんじはっしょうのみや
京都駅から西に1km。東寺の北300mほどの 近鉄線路の南側に「
「源氏」は 全部で二十一の流れがあるといわれるが, 「清和源氏」は その一つの系統である。平家滅亡後、北条氏と豊臣秀吉を除く天下人の多くは清和源氏を称しており, 武家源氏として歴史上に名を馳せた人物は, 源頼朝・足利尊氏・今川義元・武田信玄・明智光秀……徳川家康・板垣退助 など数えきれない。 ただし, 名前だけの源氏も少なくなかったことは よく知られた事実である。
平安時代の弘仁6年(815), 嵯峨天皇が自らの皇子・皇女32名を一挙に臣籍降下させ, 源氏を賜ったのが源氏の始まりとされ, 一方の平氏は天長2年(825)に桓武天皇が第5皇子の子女に平氏を賜ったことに始まる。
嵯峨天皇後の天皇も度々皇族を源氏として臣籍に下したことから, 嵯峨天皇を祖とする源氏は 「嵯峨源氏」と称されるようになり, 以後源氏は 仁明源氏・文徳源氏・清和源氏・宇多源氏 などとその時の天皇の号をもって氏族の称とした。
清和源氏は, 清和天皇の第六皇子の子である経基王(六孫王)が臣籍降下により「源」姓を名乗った ことに始まり, 摂津源氏・美濃源氏・大和源氏・河内源氏 などの傍流が生れている。源義朝が “保元・平治の乱”によって 平清盛に殺害された後, 摂津源氏の源頼政, 河内源氏庶流の源行家らの檄を受け, 源頼朝・源義経ら兄弟や頼朝の従兄弟にあたる源義仲(木曽次郎義仲)らが各地で挙兵し“源平の合戦”が発生し, 壇ノ浦の戦いで平家が滅びたことは有名。
六孫王神社は 平安時代中期の創建。父が清和天皇の六男で天皇の孫ということで「六孫王」と呼ばれた源経基は, この地に住居を構え死後もここに埋葬されたため, 墓前に社殿を築いたのが神社の始まりとされ, このことにより「清和源氏発祥の宮」と称されている。この他, 兵庫県川西市にある多田神社は, 清和天皇の曾孫 源満仲 が祀られていることから, 「清和源氏発祥の地」といわれる。
写真
碑文
清和源氏発祥の宮
出生から出世までの守護神