わが国 石油 機械掘り 発祥の地

わがくにせきゆきかいぼりはっしょうのち

東海道本線 菊川駅から南東に10km。国道473号 相良(さがら)バイパスの大寄インターから1.3kmほど南の畑の中に「わが国石油機械掘り発祥の地」と書かれた標識と説明版が設置されている。

日本国内の石油採掘は、日本海側(新潟県・秋田県)と北海道(勇払)の油田が知られているが、静岡県でも石油が採掘されていたのはほとんど知られていない。この地には、太平洋岸ではただ一つの油田「相良油田」があり、明治初めから 太平余殃 太平洋戦争後 昭和30年(1955)まで実際に石油を産出した。しかし油田としての規模は小さく、資源量が少なかったため、やはて原油は枯渇し、油田は閉鎖された。

写真

  • 石油機械掘り発祥の地
  • 石油機械掘り発祥の地 説明
  • 石油機械掘り発祥の地 碑陰

碑文

わが国石油機械掘り発祥の地

 この井跡は,石坂周造が明治六年(1873)米国から購入した綱堀り機によって,同年十月十五日掘削し,五十四リットルの採油に成功した史跡であります。
 ここは庄八屋敷といい,わが国石油機械掘り発祥の地であります。

平成八年十月吉日 相良史蹟調査会

牧之原市指定(史跡)

日本最初の石油機械掘り成功井跡
(庄八(しょうわ)屋敷(やしき))

 明治六年(一八七三)石坂周造(一八三二-一九〇二)は,アメリカより「綱堀り機」三台を購入。
 うち一台を,同年十月十五日相良油田時ケ谷地内(庄八(しょうわ)屋敷(やしき))で試用。二日間に〇・五四キロリットル(三石)の採油に成功しました。
 これは,わが国石油機械掘りによる採油の最初であり,ここが日本近代石油産業の発祥地であります。

平成十三年七月二十五日指定

牧之原市教育委員会

地図

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牧之原市菅ケ谷 付近 [ストリートビュー]