銭湯に初のペンキ絵

せんとうにはつんのぺんきえ

中央・総武線 水道橋駅から南東に500m、TOHYUビル(千代田区神田猿楽町2丁目7-1)入口脇に表示がある。

キカイ湯の経営者 東由松は、浴室の殺風景な板壁を利用して絵を飾ることを考え、画家の川越広四郎に制作を依頼した。川越は静岡県出身で、最初の絵には富士山が描かれたと伝えられている。この絵は浴客の評判を呼び、東京市内の銭湯でも次々と壁面に絵を描かせるようになった。

ペンキ絵は、浴槽の正面に広がる大きな壁面に、富士山や海、山並みなどの風景を描くものである。特に富士山は代表的な題材となり、銭湯の象徴的な風景として定着した。ただし、富士山のペンキ絵が全国一律に普及したわけではなく、関東地方を中心とする文化的特徴でもある。関西ではタイル絵が多く見られるなど、地域によって違いがある。

写真


碑文

1912年
大正元年

銭湯に初のペンキ絵
First Public Bath's Paintings.

ここにあったキカイ湯(明治17年~昭和46年)では浴室の壁に初めてペンキ絵が描かれた。以降、各地の銭湯絵の定番となった。
On the walls of this public bath(1884-1971), were first drawn paintings. Thereafter this kind of drawings became standard goods.

キカイ湯跡

明治17年(1884) に祖父、東 由松(1852-1917) はこの地に銭湯キカイ湯を建てて開業した。汽船のボイラー(機械釜)を他店に魁けて取り付けたことを記念して店名を付けた。
大正元年(1912) 父、東 雄三郎(1880-1953) は、旧店の隣りに新キカイ湯を増築して、その浴室の壁面に新規発想によるペンキ絵を掲げた。公衆浴場史(昭47年発行)に“……ところが、この絵が満都の評判となり、市内各湯もこれにならって思い思いの絵をかかせて浴客を喜ばせ……”とある。
キカイ湯は、大正12年(1923) の震災と昭和20年(1945) の戦災とに2回全焼したが、その都度復興して営業を続けた。ついに、昭和46年(1971) に近隣に惜しまれつつ87年間続けた店を閉じた。
このTOHYU(東雄)ビルの名称は、父の名を宿している。

平成4年(1992) 3月𠮷日

東 堯・東 梅子記す
有限会社 新樹これを設置す

地図

地図

千代田区神田猿楽町2丁目 付近 [ストリートビュー]