小豆島 佃煮 発祥の地
しょうどしまつくだにはっしょうのち
小豆島南の内海湾の東側にある“タケサンフーズ㈱”の本社敷地内に「小豆島佃煮発祥の地」と刻まれた石碑と,タケサンフーズ社の創業者・武部吉次氏の像が建っている。
小豆島は温暖で雨が少ないため,昔から製塩が盛んだった。16世紀末ごろからは その塩を使って醤油造りが盛んになり,明治・大正・昭和と大飛躍し“小豆島醤油”は日本4大醤油産地のひとつとしても名をなした。
しかし太平洋戦争のために資材が極度に不足し,終戦後は悪質な醤油が横行。さらに占領軍がアミノ酸醤油を奨励したため,天然醤油が売れなくなり危機が訪れた。そこで小豆島の優秀な醤油の用途を拡大するため,佃煮の製造を始めた先覚者が現れ,これが次第に発展して今日の小豆島佃煮へと発展した。
小豆島の佃煮は 名産の醤油を活用して島の経済復興をすることが目的だった。1945(昭和20)年,タケサングループの創業者・武部吉次氏は 終戦直後の食糧難と統制下で,伝統の島醤油を生かし,保存・運搬にも適した佃煮づくりに着手。小豆島産の芋のつるを材料として佃煮を製造。これを「
小豆島で初めての佃煮の成功は 他の醤油生産者にも広がり,島を挙げての佃煮づくりに発展。その後 瀬戸内の海苔や小魚などを原料としてさまざまな製品が開発され,小豆島は国内有数の佃煮産地となった。
近隣には他にも佃煮や醤油製造工場がいくつかある。その古い町並みを生かして「醤の郷」として観光誘致をしていたこともある。
写真
碑文
小豆島佃煮発祥の地
小豆島佃煮創業の記
小豆島における佃煮産業の発祥の歴史は五十年昔に遡る。即ち,昭和二十年九月二十六日,苗羽村出身の武部吉次氏が,「いもづる」を原料とした佃煮五十貫余を炊き,阪神方面へ出荷したのが始まりである。
時は,第二次世界大戦直後,国民は虚脱状態に陥り,深刻な食料難と社会不安が日を追って高ぶる有り様であった。厳しい経済統制の下,原材料の入手難がつづき,閉塞状態にあった小豆島醤油業界に,一縷の望みと活路を見出したのが,武部氏による佃煮の生産出荷であった。
武部氏は,船山醤油株式会社専務取締役として,長年醤油業に携わった経験を活かし,醤油を調味料とした佃煮生産を思い立ち,その原料には,島に豊富で入手容易な「芋づる」に着目した。かくて小豆島佃煮は,非凡な閃きと周到な計画,武部氏の信念と情熱によって創業されたが,成功の陰に,武部氏の盟友松下公平,上藤公平両氏の販売・生産両面にわたる協力のあったことを忘れてはならない。
その後小豆島佃煮は,伝統ある醤油に支えられ,業界の結束,努力によって年々発展し,今や我国屈指の佃煮産地としてその声価を高めるに至った。
創業満五十年の誕生日を迎えるに当たり,創始者武部吉次氏を始めとする先人各位の労苦を偲び,ここに碑を建てて,その偉業を顕彰する平成八年九月二十六日
撰文 内海町長 川西寿一