我国 種痘 発祥之地 秋月
わがくにしゅとうはっしょうのちあきづき
甘木市の市街地から 国道322号で北におよそ7km。山あいに 秋月の町がある。秋月城跡に通じる“杉の馬場通り”のほぼ中程に みやげ店 兼 食堂の黒門茶屋(朝倉市秋月野鳥684-2)があり, 店の前に石碑が建っている。
“筑前の小京都”と呼ばれる 秋月。予備知識がないと〈どうしてこんな山の中に……〉と 思ってしまうような, 交通の不便な場所に 突然, 懐かしさを覚える 美しい古い街並みが現れる。鎌倉時代に 原田種雄が秋月の庄に入り「秋月」を名乗ったが, 江戸時代になって, 黒田長興が秋月5万石の領主となり 秋月城を築いた。 学問や芸術が盛んに行われ, 著名な学者・医者・画家などが現れた。明治になって秋月藩がなくなると, 城下町秋月は人口が急速に減少し 衰退していったが, 開発もされなかったため 今も城下町としての特徴が残り, 優れた史跡や街並みの景観が 残されている。
蘭学を修めた緒方
天然痘は 1977年 アフリカでの患者発生を最後に 新たな患者発生の報告がなく, 1980年に WHOから 根絶宣言が出された。日本国内でも 1956(昭和31)年以降 患者の発生はなく, 1977(昭和52)年以降 種痘は行われていない。
写真
碑文
我国種痘発祥之地秋月
平成16年7月31日
春朔会