修善寺紙 発祥の地
しゅぜんじがみはっしょうのち
国道136号 下田街道を 修善寺インターから西に2.3km。修善寺の温泉街を県道18号に沿って西に進むと,修善寺小学校の北西方「修善寺紙・紙谷和紙工房」の向い側に,高さ1.5mぐらいの目立たない黒い石碑が建っている。
修善寺(伊豆市)の紙谷地区は,古くから上質の和紙を生産することで知られていた。和紙は飛鳥時代に中国から伝来し、写経のために紙の需用も増大し,各地で生産されるようになった。当時の紙は,麻紙(麻布などのボロからパルプを作った),
室町時代になると,各地の特産品として特徴のある和紙が作られるようになり,主なものとしては,
- 越前の“鳥の子紙”
- 滑らかで字が書きやすく,独特の気品と風格があり,特別扱いされた。
- 播磨の“杉原紙”
- 厚さが薄いため,贈答品の包装や武家の公文書にも用いられた。
- 美濃の“美濃紙”
- 大量生産され,高級障子紙などとして利用された。
それらの中で,伊豆の“修善寺紙”は,
明治以降は 洋紙の普及によって需用がなくなり,生産は中止されたが,1963(昭和38)年ごろから,文化財的価値の高い「修善寺紙」を現代の手で再興しようという動きが始まり,「修善寺紙を再現する会」によって研究が続けられてきた。
2003(平成15)年からは,「和紙の里=
写真
碑文
修善寺紙発祥之地 (字紙谷)
紙祖・文左衛門
平成十四年十二月
修善寺紙を再現する会
三須文兄建之施工 ㈲山口石材
大仁町大仁441の4