外山節 発祥乃地

そとやまぶしはっしょうのち

山田線 大志田駅から北東に約7km。盛岡市と岩泉町を結ぶ国道455号に面して 盛岡市立外山小学校がある(平成26年(2014) 3月閉校)。 小学校から更に200mほど東にある 外山神社の境内に自然石の 大きな石碑が建っている。

南西側の外山ダムと 北東側の岩洞湖の間に外山牧場が広がっている。 この牧場は 明治初期に馬の育成を目的に開かれ,明治24年(1891) から 大正11年(1922) までの約30年間 皇室の御料牧場となり,その後は岩手県の種畜場(現 畜産試験場)などになっている。

「外山節」は,御料牧場時代の外山牧場で働いていた作業員たちが唄い出して その周辺地域に広まった民謡で, 牧草を刈る作業唄から出たと言われる。昭和7年(1932) になって 武田忠一郎氏がこの唄を採譜し,三味線の伴奏で唄われる座敷唄になって 全国に広まった。

写真

  • 外山節発祥乃地
  • 外山節発祥乃地 説明板・歌詞

碑文

外山節発祥乃地

玉山村長 高橋求馬書

外山節発祥の地

 外山節は 明治二十二年から昭和十二年まで宮内省御料 牧場の支場となった外山牧場の作業唄として発生した。 外山牧場には,二百人から三百人の作業員が従事し,草刈 や運搬などの作業唄としてよく歌われた。
 御料牧場開場当初の,作業員上野キツ(安政六年生)橋本 フユ(明治十年生)が中心となり作業唄として歌い出し,外 山節のもととなり完成したと伝えられている。(正調外山節)
 現在の外山節は昭和十三年に,大西正子の三味線,武田 忠一郎の編曲により,キングレコードからレコード化され, 戦後,民謡ブームに乗り,のど自慢大会等で広く歌われて 一般に普及し,岩手県の代表的民謡となっている

昭和六十一年八月十七日

玉山村教育委員会

外山節

〽 わたしゃ外山の 日陰の蕨
  だれも折らぬで ほだとなる
  コラサーノサンサ コラサーノサンサ
            (以下はやし言葉略)

〽 わたしゃ外山の 野に咲く桔梗
  折らば折らんせ 今のうち

〽 わしと行かねか あの山陰さ
  駒こ育てる 萩刈りに

地図

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盛岡市玉山区藪川字外山 付近 [ストリートビュー]