砂取節 発祥之地
すなとりぶしはっしょうのち
能登半島の先端の方、珠洲市
砂取節とは、能登半島で盛んだった塩田を作るうえで必要な砂を運ぶ折に歌われた労働歌。大量の砂を積んだ船は危険を伴い、船に乗る男性を女性が案じたり、船上でお互いをいたわりあう、情感あふれる歌詞が多い。製塩は慶長の頃には事業として行っていたということで、砂取節もその直後頃には歌われていたのだろうとされる。
今では全国に知られる民謡である。
すべて海側に向かうと見える位置に並べてあるが、段差のある敷地の端であり、背後には建物が迫っているために読みにくい。また、引いて全貌を見たところで文字がやや風化しているために読みにくい。
写真
碑文
砂取節発祥之地
砂取節解説
このあたり一帯の揚浜塩田は約三七〇余年前の慶長元年からであり、かつて加賀藩主の前田利常公が貧民救済の方途として製塩を奨励したこともある 塩田従事者の港文は其の極に達し歌詞に見られる通り宿命的に悲哀感がこめられている。砂取節はこうした生活から生まれた労働歌であって昭和三十六年当時日本民謡協会理事の髙橋掬太郎先生によって全国に紹介されたものである
慶長元年は1596。
砂取節句碑
砂取節の伝承活動二十年を記念して、同民謡を詠んだ句碑二基を建立しました 大野林火先生は昭和四十四年、沢木欣一先生、角川源義先生は同四十六年 いずれも初冬の馬緤海岸を訪ねて砂取節を聴かれ、その感動を句にされました
昭和五十五年八月十日
建主 砂取節保存会
株式会社なかや砕石
句碑・歌碑は達筆すぎで、砂取節の発祥には関係無いと思い読み取るのをやめた。