棚田 発祥の地

たなだはっしょうのち

篠ノ井線 姨捨おばすて駅の東側斜面の下に広がる風景は日本三大車窓ともいわれ、駅のすぐ下から棚田の風景が広がる。姨捨観光会館から車を降りて 長楽寺の境内を抜けるとやはりすぐ目の前に棚田。上信越道 姨捨S.A.からも眼下に棚田(徒歩15分〜20分ほど、高低差約80m)。

駅南東の踏切を渡り、農道の急坂を少し下った所に石碑が建っている。姨捨駅からは約750m、踏切からは約250mで高低差は50mほど。長楽寺 月見堂からは 約950m。

ここ「姨捨の棚田」は 江戸時代中期から明治初期にかけて 開拓され, 現在でも 2000枚ほどの棚田がある。歴史的遺産を紐解くに、江戸時代に入る前からある程度の棚田は形成されていたとみられる。北東側に 善光寺平が広がり, 南西側は 千曲高原に向かって 急な斜面になっている扇状地。1999(平成11)年には 棚田として全国初の“国の名勝”に指定され, また“日本の棚田百選”にも選ばれている。ちなみに 長野県には“棚田百選”に選ばれた棚田は16ヵ所ある。

棚田は全国各地に見られるが, 急勾配で幅員も狭いため 降雨のたびに田や路面が壊れ, 維持管理に多大の労力が必要とされる。そのため 近年は放棄される田が増加し, 景観や文化が損なわれるとして深刻な問題となってきた。

姨捨地区では これを打開するために, 棚田を保全し活用する事を目指した 参加型農業「棚田貸します」制度が始まり, 都市と農村の交流を深め 地域の活性化を 図る取り組みが進められている。

なお この地は 更埴市だったが, 2003年9月に 戸倉町・上山田町と合併して千曲市となった。

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写真

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碑文

名月の里 棚田
発祥の地

平成八年五月吉日

河原延亀
  たけ子 建立

更埴市八幡7421番地

重要文化的景観「姨捨おばすて棚田たなだ

名称:姨捨の棚田
所在地:長野県千曲市大字八幡
指定:平成22年2月22日「重要文化的景観」に選定
(水田・畑地などの農耕に関する景観地)
選定範囲:面積64.3ha

古くから月見の名所・棄老説話きろうせつわで有名な姨捨おばすて地区(標高460m〜560m)の傾斜には、眼下の千曲川ちくまがわ善光寺平ぜんこうじだいらと呼ばれる広大な盆地を臨んで、約1,500枚の棚田が展開しています。
近世初頭に畑や水田が混在する耕作が行われ始め、その後利水が進展することにより水田が主体となり、16世紀半ばから近現代にかけて、日本を代表する棚田の文化的景観を形成しました。
「姨捨の棚田」の基本構造は、土石流が形成した斜面の棚田と、その水源である更級川さらしながわ上流の大池おおいけが有機的に結びついているという特徴があります。近世初頭における営農は、斜面上の湧水群を利用して始まりましたが、やがて大池から更科川を経て各用水へと配水する灌漑手法ができ、土坡どは畦畔けいはんを越えて導水する「田越たごし」と呼ぶ灌水方法や、水田の下層に敷設された「ガニセ」と呼ぶ暗渠あんきょによる排水方法が工夫されることにより、棚田は斜面全体へと広がりました。
このように、「姨捨の棚田」は、水源となる大池から更級川へと繋がる水系を軸として、用水や田越しの灌漑手法が網の目のように張り巡らされ、16世紀半ばから近現代に至るまで継続的に営まれてきた農業の土地利用の在り方を示す独特の文化的景観であり、日本人の生活または生業を理解する上で欠くことのできないものです。

(文部科学省)

(以下略)

地図

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千曲市八幡 付近 [ストリートビュー]