日本 最初の 鉄筋 コンクリート トラス
にっぽんさいしょのてっきんこんくりーととらす
京浜東北線・山手線・中央線 神田駅から南西に300m、都道405号外濠環状線沿いの竜閑橋交差点近くの歩道と路地の間の鎌倉児童遊園(千代田区内神田3丁目1-2)に、大きなトラス桁が横たわっている。
設計を担当したのは内務省土木局であり、施工は飛島組(現在の飛島建設)によって行われた。構造形式はバウ・トラス型と呼ばれる三角形を連続させた構造で、鉄筋コンクリートを使用したトラス形式の橋としては日本で初めての事例である。全長は10.5m、幅員は27mで、自動車と人の通行を可能とする構造であった。
戦後、周辺の都市構造の変化により交通需要が低下し、昭和39年(1964) に撤去された。現在、橋そのものは現存していない。龍閑橋は、日本の橋梁技術史における先駆的な存在として位置づけられている。
龍閑橋がかかっていたから龍閑川と名づけられた川(堀)は神田須田町付近の神田堀を起点として分岐し、日本橋川へ至る約1.2kmの運河であり、幅はおよそ10~15m程度であった。
写真
碑文
龍閑橋について
この橋は 大正15年(1926年)に造られた日本最初の鉄筋コンクリートトラスの大変めずらしい橋です。
これを記念するため その一部をここに保存します橋長 10m.5
幅員 27m.0
構造形式 鉄筋コンクリートトラス桁
龍閑橋の歴史と由来
もともと、神田の
堀 に架 けられていた龍閑橋は、堀を埋め立てることで必要なくなりました。同じころ、この付近に開かれた新しい川に、いらなくなった橋をそのまま架けたのが、現在の龍閑橋の地名の由来となっています。まだ無名 だったその新川は、橋の名前にちなんで「龍閑川」と名付けられました。今は無き龍閑川は、その昔、神田と日本橋の両区を分割 するものでした。
また、「龍閑」という名については、龍閑川の西端にあった町に、旧幕府 坊主 の「井上 龍閑 」と言う人の家があったことに由来します。「明治東京名所図会」より