東京慈恵会医科大学 発祥之地
とうきょうじけいかいいかだいがくはっしょうのち
松屋通り 中央区銀座4丁目, 和光裏の“松屋通り”文祥堂の近く。 歩道上に背面を車道に向けて 黒い石碑が建つ。植込みと歩道上に置かれたものなどに隠されて,非常に見つけにくい。
明治14年(1881), 創設者 高木兼寛氏が この地に「成医会講習所」を開設し, 病気に悩む人間を中心に考える学風をめざした。これが現在の慈恵会医科大学で, これは現在も存続する私立の医学校の中で最古のものである。
明治40年(1907), 東京慈恵会医院専門学校に, 大正10年(1921)には 東京慈恵会医科大学となった。
この発祥碑は, 大学創立100年を記念して, 1980に建立された。
写真
碑文
成醫會講習所跡
東京慈恵会医科大学
発祥之地明治十四年男爵高木兼寛英国医学教授ノ目的ヲモッテコノ地ニ成医会講習所ヲ開設ス
コレ東京慈恵会医科大学ノ濫觴ナリ.
創立百年ヲ記念シコノ碑ヲ建ツ.昭和五十五年五月一日
第七代学長 名取禮ニ
It was here in 1881 that the Sei-i-kai Course was started by Baron Kanehiro Takaki to teach English medicine.
As it was the beginning of the Jikei University School of Medicine, this stone commemorates the centennial of the University's founding.