植木 苗木 発祥地之碑
うえきなえぎはっしょうちのひ
久大本線 田主丸駅の北東に2km。国道210号から100mほど北に入ったところに諏訪神社(久留米市田主丸町殖木134)があり, その入口に大きな自然石の碑が建っている。この発祥碑には非常に詳しくこの地域の植木苗木栽培の由来が書かれているが, 極めて文字数が多く碑面も荒れているため, 読み取るのが難しい。
写真
碑文
植木
苗木発祥地之碑碑銘
全国植木苗木ノ三大生産地トシテ有名ナ我田主丸ソノ名モ殖木ソノ栄光ヲ伝統三百年ノ血ト汗デ培ッテキタ先達者達ノ足跡ヲ今サラニ偲ビソシテ国土ヲ支エナガラ我ラ子孫ヲ今日アラシメタ不滅ノ業績ヲコゝニ仰グ。思エバ元禄年間泰平ノ頃,封建治世ノ重圧カラ開放サレヨウトシテ人々ハセメテモノ美ト潤イヲ土ニ求メタ皐月ツツジノ愛育モヤガテ江戸カラ地方ヘト伝播スル。折カラ第三紀層壌土ノ肥エタ地味デ育苗植樹ニ最適ノ郷土ニ着目シタ我祖先タチガ楮桐桧葉蜜柑牡丹苗ナド細々ト営ム育苗ノ中ニ初メテツツジヲ取リ入レタト云ウ。イカニモ幕府ノ政策ニアエグ藩政ト天災人災ニサイナマレル農民ガ生ンガ為ニ撰ンダ副業生産ノ活路デモアッタ,コノ浮羽地ニアッテ伊吉ハゼ苗ハ諏訪村苗圃ノ声価ヲ高メ遠ク美濃国カラ持チ帰ッタ桑苗九紋竜ハ近郷注目ノ的トナッタケレ共景気ト不景気トノ需要ノアンバランストイカニ多難ナ長イ路線ダッタコトカ。ソノ間或イハ組合ヤ研究会ヲ組織シテ共同研鑽ヲ怠ラズ明治初年ノ業者十余名ガ二十年ニハ三十余名トナリ同四十三年カラ諏訪神社境内ニ開カレタ三日三晩ノ群集歓喜ノルツボト化シタ皐月ツツジノ大会デアッタガ昭和ノ大戦ニハアエナク閉幕 スベテ食料増産ニ切替エラレネバナラナカッタ然シスデニ明治初年ニ諏訪村,明石田村ヲ併セテ植木村ト呼ビヤガテ殖木ト改メタ地名ノ中ニサエ先覚者達ノ遠大ナル抱負ト誇リハ脈打ッテイタノデアル カクテ良ク家職ヲ守リ果樹苗木植木花卉盆栽ト飛躍ノ一途ニ培ッテキタ精進ト根性コソハ終戦後今日ニ及ブ経済成長ト農業構造改善事業ヲ基礎トスル好景気ノ恵ミニ浴スル機縁トモナッタ。重ネテ思ウ今ヤ全国ニソシテ国外ニマデ聞コエタ苗木ト植木ノ大生産地タル面目ニカケテソノ発祥ノ地タル我郷土殖木ノ名誉ヲ思イシカラシメタ先輩弱斗ノ歴史ニ感謝シ団結モッテ稼業ヲ守リ社会国家ノ福祉ニ寄与センコトヲ誓ウ。左記敬称畧由緒ノ表ト共ニ永代ノ銘トスル。
由緒表
- 元禄年間
- 僅カナ苗木栽培ノ中ニ皐月躑躅ノ愛育始マル
- 寛保二年
- 耳納山麓ニ枦ノ植樹盛トナル
- 文化四年
- 今村喜左エ門弟喜助 植木盆栽ヲ作ル
- 天保四年
- 秋山勘九郎諏訪組大庄屋トナリ芯品種伊吉枦ノ増殖ヲ奨励
- 文久二年
- 今村熊作有馬藩ノ目付役井上利平ニ随行シテ美濃国大垣ヘ枦ノ接木伝授ノ為出張桑九紋竜ノ穂木持チ帰ル
- 慶応二年
- 草葉次八,二宮庄助実生ニ依ル桑台木大量生産ニ成功ス
- 明治八年
- 諏訪村ト明石田村ヲ併セテ殖木村トナル
- 明治二十年
- 栗木市太郎山口県萩ノ夏蜜柑ノ穂木ヲ得テ接木ヲ拡メル
- 明治二一年
- 諏訪苗木合資会社ヲ創立社長重富虎次郎外二三名柑橘苗見本園ヲ作
- 明治二二年
- 町村制施行ニヨリ殖木村ヲ水分村大字殖木トナル
- 明治三一年
- 今村米吉和歌山県ヨリワシントンネーブルノ穂木ヲ入手苗木ヲ生産
- 明治三六年
- 筑後軌道開通太田耕次郎社長 殖木駅ニ貨車専用引込線ガ出来苗木輸送ハ特ニ便利トナル,依ッテ当地方ノ苗木ハスベテ当駅ヨリ発送サレタ
- 明治四〇年
- 業者隣村ニ拡マリ浮羽郡苗木同業組合ヲ設立事務所ヲ殖木駅前ニ置ク 菊竹博之初代組合長トナル
- 明治四二年
- 諏訪青壮年 苗木改良研究会ヲ組織シ育苗ノ研究ニ努ム
- 明治四三年
- 皐月躑躅品評会及ビ即売会ヲ諏訪神社境内ニテ始メルにわかツゝジ餅ナドデ賑ワウ■■会長重富豊治外ニ十余名後ニ郡農会主催トナリ名声高マル
- 大正二年
- 筑後■■■■■■■■■■長太田勤埼玉愛知■■■ノ交流盛トナル
- 大正仝年
- 浮羽郡九ヶ町村ノ苗木同業組合■■二四万一五〇〇円ソノ内水分村ハ最高ノ九万四七〇〇円ニテ金額ノ四一%
- 大正仝年
- 栗太桂太郎初メテ殖木ニ於ケル殖木苗木ノ起源ヲ探求シ記録ヲ残ス
- 大正四年
- 諏訪■苗会発足■■■■■一三名薬剤■製所ヲ神社境内ニ■■ス植物検査所建設ニ■■■■■模索ス
- 大正一四年
- 浮羽郡苗木同業組合事務所ハ田主丸栄町ニ移転販路■■■■■
- 昭和四年
- 植木苗木交換会殖木ノ地ニ始マル今村恒吉野村仁三郎■■■■
- 昭和七年
- 久大線全通ニヨリ植木苗木輸送至便トナリ声価益々全国ニ拡マル
- 昭和一二年
- 日華事変起リ大東亜戦トナリ戦局多難稼業ヲ棄テ食糧増産ニ挺身
- 昭和二〇年
- 終戦後海外引揚者ノ入植山地ノ開拓ソノ他果樹栽培ブームヲ■■経済成長ニ依ル庭園ノ隆昌ハ植木■■ニ黄金時代ヲモタラス
- 昭和二三年
- 業者隣郡ニ拡マリ福岡県苗木農業協同組合ト解消今日ニ至ル
- 昭和三六年
- 町内業者植木苗木交換会ヲ町役場前庭ニ開ク年々盛況ヲ極メ三九年久大線田主丸駅前ニ移ス四四年農業法人田主丸植木苗木園芸組合ト改称
昭和四十五年五月
田中幸夫撰
今村富太書