温州みかん 発祥の地
うんしゅうみかんはっしょうのち
鹿児島県出水市の北西、八代海の南の入口を塞ぐような形で長島がある。この島の東半分が東町で、町役場の東約1kmの地点に日本マンダリンセンター(出水郡長島町鷹巣3786-14)がある。ここはみかんの博物館で、鮮やかなオレンジ色のドーム状の建物が印象的である。マンダリンセンターからさらに300m南東に行くと、道路の右側にテニスコートや芝スキー場などが並ぶ一画があり、そこに「温州みかん発祥の地」と書かれた自然石の大きな石碑が建っている。
みかんは奈良・平安時代に遣唐使が中国大陸から持ち帰ったのが最初と言われ、以来何種類ものみかんが日本全国で栽培されるようになった。
温州みかんは江戸時代に突然変異により発生したもとのと言われ、その原木(実は原木から接ぎ木された3代目)が、この発祥碑の近くに今も保存されている。温州みかんは甘く、タネがなく、皮が薄く軟らかいため手でむきやすいという特徴があり、みかんと言えば温州みかんを指すほど広く栽培されている。
発祥碑の碑文には「徳川初期に中国から遣唐使が持ち帰った早拮か慢拮等が偶発実生により生じたもの」と書かれていて、みかんが江戸時代に日本に伝来したかのような印象を受けるが、日本マンダリンセンターに問い合わせたところ、「遣唐使が中国から持ち帰った早拮か慢拮等が、徳川初期に偶発実生により生じたもの」という意味とのことであった。
写真
碑文
温州みかん発祥の地
鹿児島県知事 鎌田要人書
温州みかん発祥の由来
温州みかんがわが国で経済栽培されるようになったのは、明治七年頃からで現在では多くの新品種が育成されて果樹産業の主要な品目になっている。
この温州みかんは、徳川初期に中国から遣唐使が持ち帰った早拮か慢拮等が偶発実生により生じたもので、その発祥の地は当時中国と交流のあった鹿児島県出水郡東長島村(現在の東町)であると推察されていたが、昭和十一年に当地鷹巣に樹齢三〇〇年以上と推定される古木が発見され、これが実証された。
ここに、この貴い事実を原木(三代目)の保存とともに顕彰し、後世に伝えるため全国の果樹関係者の募金により温州みかん発祥之地に碑を建立したものである。
昭和四十一年一月吉日
温州みかん発祥之地碑
建立推進協議会
温州ミカン発祥の地~東町
温州ミカンは、約500年前中国から伝わったミカンの種子の
偶発実生 といわれております。伝えたのは、当時黄岩県 に留学していた天台宗の僧ではないかといわれています。田中長三郎博士は、早キツかマンキツだろうと推察しておられますが中国の学者達は、温州ミカンによく似ている「本地広拮 」だろうと言っています。江戸時代末、長崎に来たドイツ人医師シーボルトが、温州ミカンのさく葉(おしば)を作りこれに「
Nagashima 」と記していました。これが長島が温州ミカン発祥の地であることの証拠となりました。温州ミカンの名は、中国の温州府に由来しています。温州府はミカンの産地として名高ったことからそのミカンのようにすばらしいというのが温州ミカン命名の由来といわれています。ここに貴い事実を原木(三代目)の保存とともに顕彰し、後世に伝えるため、昭和61年1月吉日、全国の果樹関係者の募金により、温州ミカン発祥の地に碑を建立したものであります。