やはた 地名 発祥の地
やはたちめいのはっしょうち
鹿児島本線
神社の由緒を案内する説明板に謳われている。
写真
碑文
やはた地名
発祥の地
御由緒
- 御祭神
- 右殿 帯仲津日子命(仲哀天皇)
- 中殿 誉田和気命(応神天皇)
- 左殿 息長帯比賣命(神功皇后)
- 相殿 宇遅和紀郎子命
- 摂末社
- 弥雲神社 恵美須神社 貴船神社 菅原神社 武内神社 野田神社 稲荷神社
- 境外社
- 日開神社(中央町鎮座)
- 菅原神社(大谷町鎮座)
神功皇后、三韓を従え給いし御弓矢を山中に納め天下が豊かなることをお祈りされ、この山を豊山(ゆたかやま)と名付ける。
光孝天皇の御代 大宮司岡県主年麻呂に御神託が有り、現在地に御神体を遷し太宰府官人奉行のもと荘厳なる神殿を建立する。宇佐神宮寺弥勒寺より京都石清水八幡宮管轄の荘園となり小倉庄六ヶ村(尾倉、前田、大蔵、枝光、鳥旗、中原)の総鎮守として隆盛を極めたが、文禄二年枝光村、慶安元年前田村、寛文七年大蔵村へ当社ご分霊を遷し、それぞれの氏神とする。明治二十二年、市町村制実姉により 尾倉、大蔵、枝光、三村合併の折、三村の氏神様が「八幡神社」の為、八幡村と称しましたが、当社が「やはた」地名の発祥地と言われる所以である。大正十二年、八幡東西区で最初に「村社」から「県社」に昇格され 昭和五年、八幡製鉄所と共に八幡の繁栄した時代に氏子崇敬者の浄罪により総檜造りの現社殿が竣工に至る。