柳澤氏 発祥之地
やなぎさわしはっしょうのち
中央本線 日野春駅から西に5km。国道20号 甲州街道の“牧原”交差点から県道612号線を3kmほど西に入ると,道路脇の小さなスペースに 高さ3m近い大きな石碑が建っている。背後には甲斐駒ヶ岳やアサヨ峰などが広がり,雄大な景色が楽しめる。
柳澤氏は,元禄時代に徳川綱吉の側用人として活躍し,15万石の大名にまで昇りつめた柳澤吉保の家系。甲州武田氏の武士団の中に、地域ごとにまとまった武士集団“衆”があった。その一つ“武川衆”から派生した青木氏が柳澤村に封を受け柳澤氏を称したのが始まりとされる。
武田氏滅亡後は他の諸将とともに徳川家康に属した。館林藩主であった徳川綱吉に仕えた柳澤吉保は,綱吉が5代将軍となるに伴い江戸に移り,側用人・老中格・大老格に就任して当時の幕政を主導し,同時に武蔵川越藩主に封じられ,やがて甲府藩15万石の藩主となった。綱吉の死後,吉保は隠居し嫡男の吉里に家督を譲った。後に吉里は大和郡山藩に転封となり,柳澤家は明治まで続いた。維新後は伯爵となっている。
発祥碑の置かれたこの地は,柳澤氏代々の屋敷があった場所。
写真
碑文
柳澤氏発祥之地
柳澤氏と吉保
柳澤氏初代信興は青木氏の出自武川衆の一員として武田氏に仕え六代に亘って当地に住み信俊の時武田氏が滅びた後徳川氏に帰属した
信俊の孫が吉保で子吉里と二代甲州藩主で 吉里の時大和郡山へ国替えになり爾後その子孫連綿として今日に至る平成二十二年十一月二日建立
柳澤区
柳澤史跡保存会
北杜市商工会武川地区
北杜市観光協会武川支部