雪山讃歌 のおこり
ゆきやまさんかのおこり
吾妻線 大前駅から南西に約15Km、小海線・しなの鉄道 小諸駅から北に約22Km。鹿沢温泉 紅葉館から少し南に上ったところに「雪山讃歌のおこり」を記した記念碑と 「雪山讃歌」の歌詞を記した石碑が建っている。
雪山賛歌は、ダークダックスやデュークエイセス、ボニージャックス等にもよく歌われ広く知られている。
なお、ここから南に上った峠付近には、紅葉館の看板に「雪山讃歌発祥の湯」と書かれています(別ページで紹介しています)。
【リンク】鹿沢温泉 紅葉館
写真
碑文
雪山讃歌のおこり
大正15年1月京都帝国大学の山岳部が鹿沢温泉でスキー合宿された。合宿が終ってから後に第1回南極越冬隊長をされた西堀栄三郎氏、京大カラコラム遠征隊長となった四手井綱彦氏、アフガニスタン遠征隊を勤めた酒戸弥二郎氏、並びに東大スキー部OBでのちにチャチャヌプリ遠征隊長をされた渡辺漸氏の4名にてスキーで新鹿沢へ下って宿泊されたが翌日天候が崩れ宿に閉じ込められた。
一行は、退屈まぎれに「山岳部の歌」を作ろうと言う事になり、曲をアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」としこれに合せて皆で上の句、下の句と持ち寄って作り上げたものであると言う。
戦後京大山岳部員が当時の資料に記載されていたこの歌を寮歌に加え歌われ始めたのが急激に一般にも愛唱されるようになったが、作者不詳となっていたものを作詩の状況を知った、京大教授、桑原武夫氏が作詩は西堀だと著作権の登録をされたもので、この印税は同山岳部の活動の大きな資金源となっていると言う。
「雪よ岩よ」で山を愛するものに親しまれているこの歌こそ粉雪舞う鹿沢温泉角間峠付近にぴったりで有り、その自然は今も昭和初期と全く変わっていないと思う。
今回地元でこれを記念し「雪山讃歌の碑」として台字を西堀氏直筆にて鹿沢温泉に建立した。
昭和57年4月
群馬県吾妻郡嬬恋村