端唄はるさめ誕生之地
はうたはるさめたんじょうのち
料亭 花月(長崎市丸山町2-1)の敷地内の稲荷社脇に碑が建つ
端唄「春雨」は、肥前小城藩士で国学者の柴田花守が長崎に滞在した際、丸山の花月で作詞したとされる。長崎県も、柴田花守によって「花月」で詠まれた曲であるとして、現在も「春雨」を記念する行事が行われていると紹介している。
柴田花守は文化6年(1809) に小城町中町で生まれた小城藩士である。小城市によれば、天保2年(1831) に中島広足から神典歌道を学び、その後、長崎に遊学した際に丸山の料亭「花月」で端唄「春雨」を作ったとされる。
「春雨」が生まれたとされる弘化3年(1846) は、フランス軍艦が長崎に入港し、佐賀藩が長崎警備にあたった時期である。長崎市の資料では、花守は佐賀藩士として長崎警備に赴き、その際に花月でこの歌を作ったとされている。歌には春の雨に濡れる鶯と梅を題材にした情景が描かれ、丸山の花街文化と結びついて広く知られる端唄となった。
写真
碑文
端唄はるさめ誕生之地
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