我が国 最初の 気球 飛揚の地

わがくにさいしょのききゅうひようのち

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1804(文化元)年, ロシアから日本との通商を求めて, ニコライ・レザノフが 軍艦ナジェジダ号で長崎に来航した。江戸幕府の回答は延々と引き延ばされ, 乗組員はこの地 (梅香崎付近)に幽閉状態に置かれた。結局 通商の申し入れは拒否されて, レザノフは半年後に カムチャツカに引き返した。

この間に ロシア海軍医官ラングストルフが和紙で熱気球を作り, 3回にわたって揚げた。見物の日本人は珍しさに 大いに喜んだと言われる。しかし最後の一回の実験では気球のヒモが切れて遠くまで飛んでしまい, ボヤ騒ぎが起きて大騒ぎになったという。

市立市民病院とホテルニュータンダの間にある 十八銀行体育館 前に, この碑があったが、敷地が市民病院と一体再整備され、長崎みなとメディカルセンター()となり、国道の裏通りとなるオランダ通り沿いに石碑が再設置された。
 → 我が国最初の気球飛揚の地(移設)

写真


碑文

我が国最初の
気球飛揚の地

文化二年(一八〇五)正月、梅香崎の宿舎に滞在中のロシヤ海軍医官ラトルフは和紙で熱気球をつくり この地で気球をあげた。

我が国最初の気球(ききゅう)飛揚(ひよう)()(あと)
Site of Japan's first balloon launching by Russian sailors in 1805
我国最早的由俄罗斯海军放飞气球之地(1805年)
러시아군함 승무원에 의해 일본 최초로 기구를 올린 곳(1805년)

文化2年(1805)1月8日、長崎入港中のロシア使節レザノフ一行の軍艦乗組員がこの地から当時日本人が見たことのない、いまでいう熱気球を揚げて見せた。
自国の先進ぶりを“アピール”したものと思われます。

地図

地図

長崎市常盤町 付近 [ストリートビュー]