バドミントン 伝来之地

ばどみんとんでんらいのち

長崎電軌 出島停留所の前に和蘭商館跡(長崎市出島町6-1)があって, 江戸時代に築かれた「出島」の跡が復元されている。この敷地内の旧石倉の裏手、キャピタン橋の西側に石碑が建っている。

出島は, 鎖国日本に唯一の西洋に向って開かれた場所で, 貿易管理とキリスト教禁教政策を推進するために寛永11年(1634) に造られた扇形をした人工の島。ここにオランダ人が居住して貿易を行っていた。

明治維新以降は 貿易が自由化されて出島の機能は失われ, 出島の周囲は埋め立てられて姿を消したが, 長崎市はこれの復元計画を進め, 平成12年(2000) に第1期復元, 平成18年(2006) に第2期の復元を 行い段階的に公開エリアを拡げている。将来は埋め立てられた周辺の海面も復元する計画が あるという。

バドミントンは 両側のコートから中央のネット越しに, シャトルコック(羽根)をラケットで 打ち合い 得点を競うスポーツ。バドミントンの起源は, 元々インドで行われていた「プーナ」という遊びを, 駐在していたイギリス兵が本国に伝えたのが始まりとされる(1873年ごろ)。 紹介されたのがイギリスのバドミントンという村であったため, 「バドミントン」という名前 がついた。

日本でバドミントンが一般に普及したのは1940年代ごろとされるが, 最初に バドミントンが行われたのは ここ出島に住むオランダ人とされる。出島のオランダ人の風習などを紹介した「紅毛雑話」の中に, バドミントンによく似たラケット(羽子板)やシャトルコック(羽根)を使って屋外で遊んでいる 「西洋羽根つき」の 図が描かれているという。平たく言えば、行動に制限があったオランダ人が気晴らしにやった遊びだったという解釈でよろしいか。

写真

  • バドミントン伝来之地
  • バドミントン伝来之地 側面
  • バドミントン伝来之地 側面

碑文

バドミントン伝来之地

 徳川鎖国時代唯一の門戸であった当長崎出島には, 紅毛人(オランダ人)が多数来航しその時代の風習や奇談などが「紅毛雑話」という古文書に絵画入りで収録されていた。バドミントンの用具によく似た「ラケット」(羽子板)「ウーランタ」(羽根)の図が紹介されており, この用具を使って屋外で遊んでいる図が「長崎阿蘭陀屋敷絵図」に画かれている。
これは英国バドミントン村での本格的な競技発生期(1873年)をさかのぼること約百年前の1780年代と推測される。
長崎県バドミントン協会は, 創立30周年を記念して, わが国におけるバドミントン伝来の地であるこのゆかりの地に記念碑を建立するものである。

日本発祥之地記念碑

第一回日中バドミントン競技大会
中国選手団長 孫藍

一九七九年五月建立

長崎県バドミントン協会
会長 横尾秀夫

地図

地図

長崎市出島町 付近