逗子 独立運動 発祥の地
ずしどくりつうんどうはっしょうのち
京浜急行逗子線 逗子・葉山(新逗子)駅から西北に200m。逗子郵便局の斜め向かい,逗子会館の横の狭い露地を20mほど入ったところに亀井児童公園がある。入ったすぐ右手に高さ1.5mほどの黒御影石の発祥碑が建っている。
逗子市の歴史を見ると,明治22年(1889)に 逗子村・桜山村・池子村など6ヶ村が合併して
横須賀市は軍港を抱えた 帝国海軍の一大拠点であり,早い時期から軍事施設のある周辺の町村を併合していった。
昭和10年代に入ってから 逗子と横須賀にまたがる池子地区に大規模な火薬庫が建設された。海軍としては,緊急事態に際して1つの自治体に指令すれば済むという思惑から,逗子町を横須賀市に併合させた。しかし,この合併は
- 地元住民の住民の意志を無視して強制されたこと,
- 合併の条件として約束された 学校や漁港の整備が実行されなかったこと,
- 行政サービスに格差があったこと
などの不満が逗子町民にあり,戦後 昭和24年(1949)に“逗子独立期成同盟会”が結成され 住民投票が行われた。横須賀市議会は分離反対の決議をしたものの,神奈川県議会の僅差による賛成の議決を経て,翌 昭和25年(1950)に分離・独立が実現した。
市町村の合併の例は非常に多いが,分離されたものは少なく10数件の例が見られるだけである。分離の理由は,逗子の場合のように戦時中に国策で強制的に合併させられたものが戦後になって分離したり(神奈川県座間町など), “昭和の大合併”により合併したもののその後市町村内の対立により分離されたものなどである。
京急 新逗子駅は、令和2年(2020)3月に逗子・葉山駅に改称。
写真
碑文
逗子独立運動発祥の地
逗子は昭和十八年(一九四三年)軍の意向で強制的に横須賀市と合併させられたが、住民の意志で昭和二十五年七月一日に分離独立し逗子町が誕生した。
戦後の混乱期に青年たちの発意から生れた独立運動は成功した。その後、市制がしかれ逗子市となった。
ここに、六十年を迎え逗子の礎を築いた方々を顕彰し、独立期成同盟会発祥の地に記念碑を建立する。平成二十一年十一月
逗子独立記念碑を建立する会 会長 山口 茂
元逗子独立期成同盟会副委員長