逗子の 地名 発祥の寺

ずしのちめいはっしょうのてら

京浜急行逗子線の終点 逗子・葉山(新逗子)駅から西に150m。県道24号に面して 真言宗 延命寺がある。 寺の門前に「逗子の地名発祥の寺」と刻まれた石碑が建っている。

“逗子”という地名の起源については諸説あるようだが,最も有力とされる説によると, 平安時代に ここ延命寺に行基作の延命地蔵尊があった。弘法太師が日光に行く途中たまたま延命に立ち寄り,この延命地蔵を見て自ら安置する厨子を造った。これが地元住民の尊崇を集めやがてこの地域は“厨子(ずし)”と呼ばれ,やがて“逗子”の文字が使われるようになったとされている。

なお、逗子市は太平洋戦争中に横須賀に併合されるが、その後再独立して現在の逗子市に至る。→ 逗子独立運動発祥の地


門に向って右側にあったが、いつの間にか左側に移設された

新逗子駅は令和2年(2020)3月に、逗子・葉山駅に改称。

写真

  • 新逗子駅
  • 黄雲山逗子大師 延命寺 法燈史略記
  • 延命寺
  • 逗子の地名発祥の寺
  • 逗子の地名発祥の寺 背面

碑文

逗子の地名発祥の寺

平成二十年五月吉日

奉納 神田佳栄

黄雲山逗子大師 延命寺 法燈史略記

(平成二年六月現在)

天平時代
創立開祖
奈良時代聖武天皇の天平年中 行基菩薩御自作の延命地蔵尊を安置し寺を造り黄雲山地蔵密院延命寺と号す(今より約千二百年前)
平安時代
逗子地名の発祥
弘法太師 当山に立寄り地蔵尊の厨子を設立せられしより住民の尊髙まり此の地域を「厨子」と呼び 今日の「逗子」という地名の発祥となる
鎌倉時代
三浦市の一党当寺を修補して祈願寺とする
室町時代
北條氏の三浦攻めに破れた三浦一族の三浦遵香主従は当寺に於て自害、現に其の墓を存す
北条徳川時代
北條氏の歸依を得 天文年間 僧朝賢の祖となる 天正年間徳川氏より朱印の下附を得て頼雄 栄尊の師資 復興努力により貞享年間に至り七堂伽藍竣工し本尊大日如来となす
明治大正時代
明治二十九年大火災により堂宇鳥有に帰す さらに大正十二年関東大震災により仮本堂及びその他九棟全壊の難に遭う
第七十一世本瑞代 震災直後の復興に着手 大正十四年本堂完成す
昭和時代
「逗子大師延命寺」の公称
第七十二世祐瑞代 弘法大師御生千二百年記念事業として昭和五十二年大本堂を完成す 茲に「逗子大師延命寺」と公称する
第七十三世宜圓代 弘法大師千百五十年御建遠忌事業として檀信徒会館及び庫裏を昭和五十九年完成す

地図

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