三郡共立学校 発祥の地

さんぐんきょうりつがっこうはっしょうのち

写真


旧URL
http://hamadayori.com/hass-col/school/SangunKyoritu.htm

碑文

発祥の地

神奈川県立平塚農業高等学校
神奈川県立秦野高等学校

三郡共立学校発祥の地

 明治19年(1886年)宗信寺本堂を仮校舎に大住おおすみ淘綾ゆるぎ・足柄上郡の三郡共立学校は誕生しました。学科は英、漢、数の三教科で、特に英語教育に力が注がれた三年制の学校でした。

 明治26年、生徒が増えたため金目小学校の旧校舎に移り、29年には大住郡、淘綾郡の合併によりニ郡共立学校と改称。31年には足柄上郡の脱退により校名を中郡学校と変更し、法伝寺東側に移転しました。35年には農業科を新設し中郡農業学校となりました。明治42年には現在の達上ヶ丘たんじょうがおかの地に移管して県立平塚農業高等学校となりました。

 廃校となった中郡農業学校の校舎は明治42年4月、私立育英学校として開校し、その後奈珂なか中学校を経て現在の秦野高等学校となりました。

 宗信寺には相模俳壇で活躍した花昌亭かしょうてい百亀ひゃっき(6代目森文右衛門)や森鑅三郎こうざぶろう(鶴汀=かくてい)が眠っています。

  四五日の今は大事と菊の花(百亀)
  散るはなをかるふせおふて初のたび(鶴汀)

〔め〕名門のほまれを今に三郡共立学校 (ふるさと歴史かるた)

平成15年(2003)3月

地図

地図

平塚市南金目 付近 [ストリートビュー]