あかびら 発祥の地

あかびらはっしょうのち

 
撮影:
2025年2月(写真 まさ・なち さん)

翠光苑(赤平市百戸町西1丁目6)東側の駐車場から入った近くに石碑が建つ。

赤平市百戸ひゃっこ地域の発祥は、明治23年(1890) に熊本県出身の鶴林恵熊および西尾徳太郎の2人がこの地に入植したことに始まる。両名は歌志内方面から山越えして現在の百戸地域に入り、開墾を開始した。彼らの入植後、同郷者を中心に入植者が増加し、約100戸の集落が形成されたことから、「百戸」という地名が定着した。

当初の百戸地域は未開の森林地帯であり、入植者たちは開墾と農耕に従事しながら定住の基盤を築いていった。その後、昭和期に入り石炭産業が拡大すると、百戸地域には鉱山労働者向けの社宅が建設され、都市的機能を備えた住宅地としても発展を遂げたが、これは地域発祥の後年の変化にすぎない。

写真

  • あかびら発祥の地 説明
  • あかびら発祥の地
  • あかびら発祥の地 背面 碑文
  • あかびら発祥の地

碑文

百戸開基百年記念

あかびら発祥の地

明治二十三年 熊本縣人 鶴林恵熊 西尾徳太郎の二人は 歌志内より山越えし空知川を渡り百戸の地に至る 翌二十四年 赤间長太郎 講元市平 西川伊左衛門 三上辰蔵とともに川岸に居小屋を建て𫔭墾に着手した これが赤平𫔭拓の始めである
明治二十六年 区画割設定のため 赤间の沢川から芦別市常磐町まで百戸分(一戸分は五町歩)が区画され 百戸と呼称されるようになった 当時の入植者は 佐藤今朝大 刈谷重吉 嶋谷鶴松 納田善吉 大谷文七 伊藤晋彦 河野小三郎 朝倉戈一郎 秦森次 伊佐沢富郎 阿部武助 高尾庄吉 山田喜代門 白石定吉 北野亀吉 定佐太夫 ■谷重吉 林秀三郎 西本治郎八 吉村八三郎 上田阿典間 山本伊賀吉の各人)であった
木を倒す道具も 農具も不完全であり開拓は父として進まず 加えて二度 三度の大洪水に見舞われるなどその労苦は言語を絶したという 開基百年の記念すべき年に当り 先人の不撓不屈の精神をたゝえ ここにその偉業を永遠に偲ぶものである

平成二年九月十六日建之

百戸𫔭基百年記念事業実行委員会
協賛 赤平市

地図

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赤平市百戸町西1丁目 付近 [ストリートビュー]