水稲発祥之地(深川一已)

すいとうはっしょうのち

 
撮影:
2024年11月(写真 まさ・なち さん)

函館本線 深川駅から北東へ1.5km、堺川に架かる稲穂橋のたもとに立派な石碑が建つ。

深川市内には音江に「深川市水稲発祥」の看板が教育委員会によって設置されている。音江村では明治23年(1890) に髙橋惣吉によって始められた。当地 一已村では明治29年(1896) に伊藤兼太郎によって始められた。深川市内に複数の表示は混乱を誘うが、合併前の行政単位では別々だったということだ。

深川市は昭和38年(1963)に、深川町・一已いちやん村・納内おさむない村・音江村の4町村が合併して誕生、その後 昭和45年(1970)、隣接する多度志町も合併して現在の形となった。

北海道内の発祥の地碑として数多く水田発祥の地が数えられるが、《北海道「水田発祥の地」記念碑》という書籍が発行されるほどである。

写真

  • 水稲発祥之地(一已)
  • 水稲発祥之地(一已)
  • 水稲発祥之地(一已)背面 碑文

碑文

水稲発祥之地

深川市長宮崎 正一 書

元屯田兵伊藤兼太郎氏氏が明治二十九年此地に於て水稲栽培に成功し明治天皇にこれを献上依て其の功績を多とされ銀盃一個を下賜せられたり

昭和四十年五月十五日建之

屯田二卋会

地図

地図

深川市稲穂町1丁目 付近 [ストリートビュー]