アルミニウム 発祥の地
あるみにうむはっしょうのち
京浜東北線 新子安駅から南に800m。横浜港の北縁に工場用地として埋め立てられた島の一つ“恵比須町”は、大半が昭和電工 横浜事業所(横浜市神奈川区恵比須町8)
の工場となっている。そのほぼ中心に、林のように木が建ち並んだ50m×20mほどの領域があり、赤い鳥居の稲荷社が鎮座している。その右側に大きな自然石の記念碑が置かれていて、「アルミニウム発祥の地」と書かれたアルミ製と思しきプレートが埋め込まれている。
碑の側面に説明文が書かれているようだが、残念ながら工場外の道路からは読み取れない。
実は「アルミニウム発祥の地」は2ヶ所にある。一つはここ昭和電工 横浜事業所。もう一つはレゾナック・グラファイト・ジャパン 昭和電工 大町事業所(長野県)である。
一般には、昭和9年(1934) に日本沃度(後に昭和アルミニウムから昭和電工)において、日本で初めてアルミニウムの精錬が行われたとされ、これが日本におけるアルミニウムの発祥とされているようである。(たとえばアルミニウム協会のウェブページにはそのように記載されている。)
それでは ここ横浜の発祥碑は何なのか?大町でアルミの精錬が行われた前年の昭和8年(1933) に、この地において
つまりこの地の“発祥”は初めてアルミナが製造されたことを、大町ではアルミニウムの精錬が始められたことを記念するものらしい。
令和4年(2022) に立ち寄ると、プラントの数がだいぶ減っていた。また、のぞき込める塀の上にはフェンスが設置され、覗き込みにくくなった。休憩がてら隣地にあるコンビニから覗き込んでみたところ、碑文を読み取ることができた(コンビニ敷地は以前は資材置き場で立ち入ることができなかった)。
近くに寄って拝見したいのでどなたにどのように申告したらよいか会社の総務へ質問すると、判断は保留された。敷地外から見えるのはストリートビューみたいなものなのでということで、それは許可された。
【リンク】産業技術史資料データベース、昭和電工
写真
碑文
アルミニウム発祥の地
アルミニウム発祥の地
昭和八年四月十五日当社初代社長森矗昶ここにアルミナ工場の建をおく同年秋多くの困難を排しつつ工業的生産に入り製品を長野県大町の電解工場に送る
かくて昭和九年一月前人幾度か企てて及ばざりしアルミニウム国産の偉業ついに成就す
生産規模当初二千噸今二十万噸昭和三十九年 六月
昭和電工株式会社々長 安西正夫
矗昶=のぶてる