安政柑 発祥之地
あんせいかんはっしょうのち
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%94%BF%E6%9F%91#/media/File:Anseikan_hi.JPG
- http://0845.boo.jp/times/archives/001121.shtml
2005年3月除幕
因島市田熊町東区金栗池そばの畑地 - http://2623crystal.blogspot.jp/2015/04/blog-post_845.html
→ 八朔発祥之地
写真
碑文
安政柑発祥之地
因島のみかん産地づくりが力強くすゝめられていた明治の中葉、田熊村有金栗の岡野末吉園に、安政年間に発見された台湾系の偶発実生と思われる、緑黄の文旦が稔り、甘酸適和した爽快な味覚を愛され、「青ン坊」と言う名称で増植されていた。
明治四十三年、田熊村で開催された柑橘振興講習会に、来講された農商務省興津園芸試験場長恩田鉄弥博士により、安政柑と命名された。
昭和五年、園芸試験場の晩柑調査でも高い評価を受け、需要も延びていった。
ここに安政柑発祥の地の誇りと、育成開発につとめられた先人たちの遺業を讃え、これを後世に伝えんとするものである。
平成十七年二月吉日
田熊安政柑顕彰会