安政柑 発祥之地

あんせいかんはっしょうのち

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八朔発祥之地

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碑文

安政柑発祥之地

因島のみかん産地づくりが力強くすゝめられていた明治の中葉、田熊村有金栗の岡野末吉園に、安政年間に発見された台湾系の偶発実生と思われる、緑黄の文旦が稔り、甘酸適和した爽快な味覚を愛され、「青ン坊」と言う名称で増植されていた。

明治四十三年、田熊村で開催された柑橘振興講習会に、来講された農商務省興津園芸試験場長恩田鉄弥博士により、安政柑と命名された。

昭和五年、園芸試験場の晩柑調査でも高い評価を受け、需要も延びていった。

ここに安政柑発祥の地の誇りと、育成開発につとめられた先人たちの遺業を讃え、これを後世に伝えんとするものである。

平成十七年二月吉日

田熊安政柑顕彰会

地図

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因島市田熊町東区 付近 [ストリートビュー]