安産腹帯 発祥霊場

あんざんはらおびはっしょうれいじょう

六甲山系の摩耶別山の頂上近く,奥摩耶ドライブウェイの途中,バス停“摩耶山天上寺前”に40mほどの長く白い石塀がある。これが天上寺(灘区摩耶山町2-12)の山門入口で,その石塀の南東端に高さ1mほどの石碑が建っている。

摩耶山天上寺は,正確には「忉利(とうり)天上寺」という 高野山真言宗の寺。天上寺が「安産腹帯発祥」と言われるのは,次のような縁起があると説明されている。

中国大陸の南北朝時代(6世紀頃)、国中に流行病が蔓延し元気な子どもが生まれなくなった。南朝・梁の武帝はこのままでは国が滅亡すると嘆き,多くの僧尼を集めて祈願をしたが霊験はなかった。

ある夜,悩む武帝の夢枕にお釈迦さまが立ち「わが母の摩耶夫人を祀るがよい。母は女人の守護を,とりわけ女人の安産を守る女身仏である」と告げた。武帝は直ちに香木で2体の摩耶夫人像をつくり,宮中と町なかの鎮国寺に祀り僧尼を集めて祈祷をささげた。すると流行病はたちまちに消散し,元気な子供たちが次つぎに生まれ,母たちもいたって健やかであった。これで国が救われたと武帝は仏教に深く帰依し,以来,仏母摩耶夫人は女人守護と安産の守り本尊として永く信仰されるようになった。

その300年後,唐に渡った弘法大師(空海)は 密教の奥義を極め,その帰国にあたって,時の皇帝憲宗より摩耶夫人像のうちの一体を譲りうけて日本に持ち帰り,天上寺に日本にただ一つの摩耶夫人堂を建立し,その本尊とした。これにより山の名を“仏母摩耶山”(通称・摩耶山)と名づけた。それ以来,摩耶山天上寺は“女人高野”などと呼ばれ,“安産祈願の本山”などと長く女性の信仰を集めるようになった。

安山腹帯とは,妊娠中の胎児を守り妊婦を腰痛や冷えから防ぐといわれて,昔からお寺や神社で受けた帯を締めて安産を祈るもので,一般には“岩田帯”“帯祝い”などと呼ばれ,妊娠5ヶ月目の戌の日に締めるという習慣である。その由来は,お釈迦さまの生母である摩耶(まや)夫人(ぶにん)をまつる摩耶山にお参りされた妊婦が,摩耶夫人堂の前の鐘の緒に巻かれた浄布を持ち帰り,腹帯とした慣わしにはじまる。摩耶山の腹帯は「鐘緒」と書いて「はらおび」と読み,天上寺は「安産腹帯発祥の霊場」と言われる。

天上寺は飛鳥時代 大化2年(646)に孝徳天皇の勅願により開かれたと伝えられる。最盛期には3000人の僧を擁し,多数の塔頭を抱える大寺であったが,昭和51年(1976)に火災のためほぼ全山を焼失。1985年ごろから徐々に再建が進められてきた。安産のシンボル・摩耶夫人像も焼失したため“平成の摩耶夫人”として平成元年(1989)に,等身大・極彩色の立像が再建された。

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旧URL
https://www.hamadayori.com/hass-col/medical/AnzanHaraobi.html

碑文

安産腹帯發祥霊場

天上寺,山門前の長い石塀

地図

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灘区摩耶山町 付近 [ストリートビュー]