関西学院 創立の地 (神戸文学館)

かんせいがくいんそうりつのち

「関西学院創立の地」碑は2箇所に建てられている。

一つは 阪急電鉄今津線 甲東園駅から西に1kmの関西学院大学・上ケ原(うえがはら)キャンパス(西宮市上ケ原一番町1-155)正門からおよそ100m北側にある“関西学院会館”のゲート前。もう一つは,阪急電鉄 神戸線 王子公園駅から西にある神戸文学館(神戸市灘区王子町3丁目1-2)の瀟洒なレンガ造りの建物の前。

2つの碑は, L字型に曲がった壁状の石碑で, どちらもほとんど同じ形をしており, 碑の形や碑文の内容は同じである。 碑文の日付が異なっており, 上ケ原キャンパスにあるものは「平成11年10月1日」, 神戸文学館にあるものは「昭和31年10月27日」と書かれている。

碑の中央に ヒツジの頭部をかたどった石像が置かれている。

関西学院は, 明治22年(1889)に米国メソジスト教会から派遣された宣教師 W(ウォルター). R(ラッセル). ランバスが 神戸市郊外の原田村(現在の神戸文学館の場所)に旧制中学「West Japan College = 関西学院」を設立したことに始まる。第4代の学院長であったカナダ人宣教師 C(コーネリアス). J(ジョン). L(ライトホール). ベーツは, “Mastery for Service”をスクールモットーとし, 関学での在職期間は30年以上にも及び, この間に1929(昭和4)年に 西宮の上ケ原にキャンパスを移転し, 昭和7年(1932) 関西学院大学を設立するなど, 関西学院の基礎を作った。戦後 昭和23年(1948) に新学制により現在の関西学院の組織となった。

「関西学院創立の地」碑が2箇所にあるのは 次のような事情がある。

最初の「創立の碑」は, 昭和32年(1957) 学院創立70周年記念として学院の同窓会が原田の旧礼拝堂 (ブランチ・メモリアル・チャペル = 現在の神戸文学館)前に建立された。その後 空襲によって破壊されていたチャペルの復元工事が神戸市によって行われ, その際に碑は解体され 学院に保管されていた。

平成5年(1993) チャペルの修復工事が完成して王子市民ギャラリー、(平成18年(2006) より神戸文学館)となった際に, 碑のデザインなどはもとのまま踏襲して現地に復元された。日付は 原碑のまま「昭和32年」とされた。

一方, 平成11年(1999)に 学院の創立111周年記念事業として 関西学院会館が建設されたのを機会に, 会館の正面ゲート前に同じ記念碑が造られ設置されたが, 日付は「平成11年」となった。

文学館は、関西学院の基礎となる教育施設が始まったところ。上ケ原は、関西学院大学が始まったところ。そう考えるとわかりやすい。

写真

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  • 関西学院創立の地(文学館)
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碑文

関西学院創立の地

明治二十二年九月二十八日米国 南メソヂスト教会宣教師W・R ・ランバス博士神の啓示により 神戸原田の森を卜し関西学院を 創立した吉岡美国博士創業を掲 げニュートン博士ベーツ博士相 傳えて学院今日の基礎を定めた
昭和四年西宮市に移る

昭和三十一年十月二十七日

同窓会この碑を建つ

敬神愛人

MASTERY FOR SERVICE

これは
旧礼拝堂正面階
段に使われた飾
である

地図

地図

神戸市灘区王子町3丁目 付近 [ストリートビュー]